2007/05/04

”世界を征服するだがや”



どんな受精卵細胞でも、最初に成長して出来上がるのは”口腔と肛門を繋ぐ管”であることは知られている。

それぞれインプット・アウトプットという機能に応じた筋肉をもち、インプット部(グルメ部)には食を楽しいものにするべく、否、より正確には、有毒かどうかを最低限見極める嗅覚器官がその真上には付いているが、アウトプット部(ダッシュボード部)には付いていない。ニコちゃん大王など知っている人も少ないだろうが、ニコちゃん星人は例外である。なんか、このクラブ活動のような響きをもつ器官には、オヤジギャグ風に言えば、大”活躍”をする”括約”筋があり、結構思う通りにも動かせる。余り動かしすぎると第4サティアンでヨガをやっているような気分になり、空中浮遊出来る錯覚に陥るが、そんなことはどうでもよい。

口腔も肛門も、元々は同じDNAが絡んでいる。
局所的に必要な遺伝情報が選び出されたからここには鼻が付かなかっただけの話で、もしこの遺伝子コピーにかかっている制限が緩和されれば、原理上、鼻だって付けられる。アウトプット部に待望の”鼻の新入生部員”入部である。

だから、と、ずいぶん強引な論理だが、最近話題の著作権違反というのはこの”新入部員”の入部のことであり、この違反(違法コピー)が簡単になった今の世の中でその国際的取り締まり強化を訴える”先進国”にとって”鼻の新入部員”は”目の上の瘤”ならぬ、”ケツの上の鼻”なのである。”先進国”と言ったが、何も進んでいるわけではない。ただ単に、市場原理でコピー制限をかけているだけの話で、知的財産原理主義者が出てきたら、それこそ「文字」にも制限がかかるはずで、これなら”先進性”を叫んでも私は文句は言わないだろう。

”ヒューマンネイチャー”という古くて新しい言葉を思い出そう。日本語に訳せば”さが(性)”とでもなろうが、どうしても変えられない、変えようものなら精神が恐慌を起こしかねないことを指す言葉だ。肛門の近くに出来た”風邪のハナ”だって、”楽しければいいジャ〜ン”といってしまえばそれまで。本来のネイチャーならば、これは”遺伝子異常”だが、ヒューマンになると”知的財産権侵害”であり、また、人間の性を裏にとった行為は”詐欺”ということになる。

しかし、この侵害にせよ、詐欺行為にせよ、線引きは難しい。
例えば、中世までの文学と近代以降のそれとの大きな違いは、口承性の度合いの相異と作家の特定可能性だとでも言えようが、それにしたところで、「文字」という人類の一大発明品にまでこのパースペクティヴを適用すると、漢字を使っているわれわれがこの知的財産を無料配布された上に、日々無料で使っていることを考えれば、すでにそれが知的財産だなんてことを忖度すらしない。だから、精々、問題になるとしても、正しい書き順とかくらいで、それ以上のことで文句は言われない。

空想がいささか過剰だが、個々の漢字の発明者がその所有権を主張しようものなら、一文字毎に登録商標がついて読みにくくて仕方がない。ソフトが市場化する時代だからこそ、この”コウモンのハナ”ももぎ取られるわけだ。

ところで、私は中国が好きだ。ヘドが出るほど好きだ。
コピーがいけないことって分かっているけど、コピーしていないって言い張るあの勇気が好きだ。
みんなでミッキー・チナ・マウスを、そしてミッキー・チナ・プーを楽しむことが望まれる。なぜなら、あれがミッキーでもプーでもないことは明らかだからだ。チナズム万歳。

追記
オーソン・ウェルズの『フェイク』という映画での1シーンを思い出した。
エルミアというユダヤ系ハンガリー人贋作画家が「ピカソ」をカメラの前で書き上げ、パイプのライターで燃やすシーンだ。
そして、彼のモットーは「サインは偽造しないこと」。
だから、彼の作品が流通可能であるその前提は共犯者がいるということであり、これが彼の逃げ道。

チナストも、だから、国際メディアの前で非難に晒される前に、チナニー・ランドを全焼させてしまえばいい。
あと、観光客は共犯者にならないために、どれだけ楽しんだとしても、「ケッ、つまんねえ」と言ってみること。