2010/07/31

アカ文学チャ文学キ文学アカ文学チャ文学キ文学


文学と呼ばれるものについて少し書こうと思う。

私の回りには文学部を出たという友達はいない。
別に、大学を出ているからということがここでのテーマではない。
むしろ逆である。
少し遠回りになるが、こういう話からしていこう。
大学の文学部を出ていようが、ろくに文学の古典を読んだこともない輩は多いのだろうというのが僕の勝手な思い込みである。
専攻文学のみならず、「文学といえば...」何々の作品を読むのは当然のはずなのだが、読まないことになっているのだろうか。
そうではないと思いたいが、確証がないので何とも言えない。
しかし、無論、これが事実だとすれば、大学の教育プログラムに問題があるというのが正しい裁き方であろう。
読まないでいられるのは大学のプログラムがよほどいい加減か、査定が甘いかのどちらかに決まっているからなのだ。
恐らく、読まなくともよいプログラムになっていて、試験も口頭試問ではないからなのだろう。
直に聞かれたならば、読んでませんの返答では点がつかないはずだからだ。
しかし、今日はそんなことが話のネタでないことは冒頭で書いた。
今日の話は文学と呼ばれるものを考えるための一つのきっかけである。

世に「文学」という言葉が果たして必要なのかどうか、という原理的なお話である。
これは意外と皆考えてみようとしない。
特に、ナンタラ文学を専攻して、その歴史の陰に隠れてひっそりと「研究」と呼ばれるらしいことに精を出す人間には考えも及ばぬことである。研究者というのは無論、文豪などではないのだから、文学の将来を云々すると言っても、ほとんど外野席でのヤジに過ぎない。
これは悪口ではない。そうではなく、外野のヤジを過小評価する気は毛頭なく、むしろかつてのパリーグなどでは奇跡的なヤジも存在した。

人間がものを書くという営為について考えてみるにあたって、ブログの存在を忘れるわけにはいかないが、この話はもう少しあとにしてみよう。それよりも、人がものを書くことをわざわざ文学と名付ける必要はなく、またそうする理由もないということから考えたいのだ。
かつて、「作文」という言葉が定着する前までは一般に「綴り方」という言葉が一般に流通していた。文部省による名称変更という綱領範囲内のこととはいえ、この「綴り方」という言葉自体がかなり風化していることは否めない。しかし、特筆すべきは、「生活」という言葉と結びつくのは文学ではなく、この綴り方という言葉を置いて他になく、まさに生を書き留める、書き続けるという意味では文学などという範疇はあまりにも狭隘に過ぎるという点なのだ。
この教程のひとつとしての綴り方というのは身近なところでいえば「日記」である。幼い頃に日記を書かされた記憶は誰にでもあるが、この日記というものは流れでいえば「綴り方」の末裔に位置する。
日記というものには制約がない。文章読本風の気取りの有る無しなども念頭において書く必要などない。
文学性の有無をどうのこうのいうこと自体が最初から除外されている。かつて、ロシア・フォルマリズムの理論化の過程ではこの「文学性」とは何かということが大きな問題になったのだが、文学の枠に入るものが何かというその基準点に「文学性」というものが置かれようとした。結局、この問い自体は今から思えば疑似的な問いであったように僕には思えるのだが、それは何よりも書くということを一番にして人はものを書くわけであって、文学を最初において書くものなどはこの世にどれほどの数がいるかと言えば数えるほどしかおらず、抽象的であるかどうかを越えて、観念的、つまり、ここでは空想的とすら思えてくるからである。文学性を考えることよりも、ものを書くということ、つまり、ホモ・スクリーベンスの本質を本当はフォルマリズム理論家たちは抉り出すべきだったのだ、と思えてならないのだ。
ともかくも、人間はものを書く。その文学性の有る無しに関わらず、書くのである。その善し悪しを言い出すとそれは学的研究にはそぐわないものになる。では、原理としての書くということが本当に分かっているのかといえば、実は何も分かっていないのではないか。

上にも予告しておいたので、ブログの話をここでするとしよう。
かつて誰かが酒場で「なぜブログなんか書くんだ?」ととても大きな疑問符をつけて叫んでいたのを思い出す。
その方は編集者である。正直言って、「世間にはものを書くものが文学者よりも多くいるんだと言うことをこの人は分かっていないのかな」という呆れた気分が僕を襲ったのである。編集者はその上がってきた書かれたものを読み、そこに手を加えるか加えないかは知らぬが、とにかく、編集するほどのレベルになければ読むに値しないという職業的悪癖があるのだろう。度肝を抜かされるものを読まないと、あるいはそれに類するものが目の前にないと、価値がないのである。それも当然のことだ。なぜなら、彼らはそれを本にしたがっているからである。欲しいものは単なる書き物ではない。それは自費出版でやってくれ、というわけだ。あるいは、作家を育てるという言葉も存在する。恐ろしい言葉だ。本にするほどの価値もないものは世の中に出す意味がないというわけである。本=意味なのである。しかし、ここで大きな分かれ道、というか、編集者的誤解が待っている。編集者は世の中を相手にしていると思っている。しかし、これは誤解以上に、倨傲といものであって、意味などは編集者が検定したり決定するものではないのは分かり切ったお話で、逆に言ってみれば、編集者なんてものは誰にだってなれるのである。職業として、つまり、それで食っていけるかどうかはともかく、世間との値踏みをするだけのことしかしないというと言い過ぎだろうか。僕はそうは思わないのである。なぜなら、彼らが本という「意味」を世間に生み出すことは到底出来ないからである。ならば、そこで可能なのは世間との値踏みでしかない。どうでもいい内容のベストセラーですら意味を見出す。そこには値踏みがあるからだ。それを間違えると意味を失う。本はベストセラーにならないどころか、彼らからすれば、紙のクズなのである。クズ。意味のないもの。書き物ですらない、ゴミというわけだ。

ほほう。文学という尺度、これこそが本当に読まれるべき「作品」という尺度はどこにあるのか。その尺を外れているものは、ゴミなのか。そうかもしれない、彼らからすれば、しかし、世の中にはまだ何の意味も知らぬ書き物が五万と存在する。それを何の尺度で測れというのか。一番困るのがこの尺度なのである。先の「綴り方」というのはその尺度を「実感」とした。テーマを自由に選択して、実感を得られた自らの生活を書くという基準である。実感のないものを書いても意味がない。至ってプラグマティックな実践としての書くという営為を定義したのである。腹の底にすとんと落ちない概念などは無に等しい、ならば、実感を持って書くことの出来るものを書け、という極めて分かり易い訓示である。

僕自身、綴り方の実践をしているわけではないのだが、ここに見られる実感というのはブログの実践と実に近いと思うのである。「日記を他人に見せてどうする?」という問いの答えはここに隠されているのではないかと思うのである。文集というものがあるが、これなどを例にとって、「文集など人に見せてどうする?」という問いなどは浮かんで来ない。なぜなら、人に見せてなんぼというのが文集の存在意義だからである。巧く書く、というのは当然求められるべき目標である。それはあるにしても、しかし、編集者の言葉として「そんなもの誰に見せるんだ」という問い自体がそもそもナンセンスなのではなかろうか。文学作品、誰かに読まれてなんぼでしょう。書いて表に出した限りは、条件は同じなのである。誰かに読まれることを求める言葉がそこにはあるのだ。日記が誰にも読まれないなどと考える人がいるとすれば、その人は認識を新たにすべきなのだ。つまり、いずれその日記は誰かに読まれる可能性があるのだ。あなたが死んだあと、偶然それは日の目を見ることだってあるのである。それを意識して書くも善し、そうでなくても善し。そこに実感がこもっていれば善いのである。あるいは、人を楽しませようという意気込み、それすらも実感なのである。生活が書かれていなくても善い。空想でも善い。実感さえあれば。

実感、それは生きていることの、あるいはその受け身形、生かされていることの証しなのだから。

最後に。
デジタル・パブリッシングの問題について一言すれば、これによって書き物の質が下がるどうのこうのというお節介はする必要はない。そもそも、上の文脈からすれば、生の質は千差万別であって、それに一々口を挟むことの出来る聖人君子などいないのだから。大事なのはその質を善し悪し関係なく晒すことにこそ書くことの意義はまず第一に求められるのだから。文学部のみなさん、この辺のこと分かっていらっしゃいますか? まあ、分からんでも構わんことかもしれんがね、大文学やってるうちは。

2010/07/24

「腐敗の摂理」の語る前に


批評機能というものが世間に存在しうるかどうかは、常に考えなければならないことである。
これはどの業界でも同じである。
テレビであろうが、文学であろうが、音楽であろうが、美術であろうが。

変なたとえだが、簡単な話として、食客が日本からなくなった時代を考えてみよう。
格差どうのこうのという、はっきりいえばどうでもいいことを口にしなかった時代のことである。
つまり、そんなことはマスコミがいわなくても肌感覚で誰もが分かっていた時代のことである。
マスコミ=メディアというのはそもそも、感覚が鈍感になった時代の産物であるという前提に話をしている。
なので、「そうじゃない、そんなことはない」と考える人には通じないことではある。
しかし、人が客と接する時間を持たなくなったということと、それを自覚していないということは、この時代の最大の副産物である。
極端なことを言えば、殺人が増えただの、馬鹿が増えただの、といったことはほとんど「輝かしき文化」にとっては問題にすらならない現象であり、そんなものはどの時代でも同じく存在し、また存在するであろうことと考えれば、恐怖に震えることではない、という意味である。殺人や白痴が良いとか、好きだと言っているのではなく、もう一度言うが「輝かしき文化」が存在する限りにおいてはどうでもいい話だということである(納得いかないという人は、これ以上読んで頂かなくてもよい。貴方とオテテを繋ぐ気はないので)。

さて、食客である。
どこまで遡れるかは分からないが、昭和30年代が下限だろうか。
40年代半ば生まれの自分には分からないので調査する必要ありだが、仮にここを臨界点としてみよう。
ちょうどあの時期は経済成長の始まりである。核家族という言葉が生まれるが、これなどは大した内容のない似非社会学用語ですらあると言ってもよい。なぜなら、これから言おうとすることからすれば、「核」などというものが家族からは奪われていく段階に入っていくからだ。つまり、大家族の核が何かということが、さも誰にも分かっている前提であるかのようで、その実、何も前提にされていない上での用語だからだ。ならば、家族の核とは何か? 父親だろうか? それとも母親だろうか? 
はっきり言ってしまえば、そもそも家族の核など存在しないのである。

核というのはその周辺に何か存在するものがあるからこそ結果的に名づけられうるものでしかない。
細胞核でも構わない、剥き出しのものを核とは呼ばないのである。
核は常にそれを取り囲むものがあり、それに守られているものであるからこそ核と呼ばれるのであってみれば、
権威を意味する言葉でもなければ、守られなければならないものも意味しない。
逆に、剥き出しにならないことが前提の存在であるということなのだ。今の天皇制がその好例である。

核の代わりに別の言い方をしよう。
社会現象における中心というもの、あるいは周縁というものは、結果として存在を始めるものである。最初から、「はい、ここを中心にしましょう」などといった感じで生まれるものではない。それはすでに政治的中心である(天皇制がそうではないことは皆が知っていること。今のあれは結果である、したがって、政治的な中心ではなく、社会的なそれであるからこそ象徴=核なのである。これに意味がないといっているのではない、そこに政治的構築性としての中心ではないと言っているのである)。社会現象というものは建築とは違って、確たる設計図を持って生じることはない。ということは、すべては結果としてのステータスしか持たないのであり、だからこそ、差別意識というものも生まれるのである(「あの田舎者が!」というシティーボーイの言葉、あらゆるシンボリズム)。
これはある意味仕方のないことで、社会現象の結果に誰も口出しは出来ないのである。
それが厭なら、その社会からオサラバするしかないか、その社会を流浪する(そして、唾を吐いたり、反社会組織を作る)しかない。そのどちらかである。そして、ここに文化の差が生じる。カルチュラル・スタデーズをわざわざ勉強するまでもなく、文化が均一であったことなどないのだ。多文化主義とかなんとか言うまでもなく、文化は差異の結果/喧嘩なのだ。

やっと本題に戻るが、この差の象徴が「食客」である。
食客は食わしてくれる人間がいるので食客になる。
何も食わさない家に、客なんかになってノコノコ顔出すわけがない。そもそも、そんなところに客などいないのだ。
飯を食わしてもらえる場所というのはある意味、文化のぶつかる場所が生まれているということである。
客としてもてなすということは、人を人らしくもてなし、客として食に与るということは、客としてそれらしく振る舞うということである。相手が相手の腹を探るという下品なことはせず、お互いがお互いの身分をよく任じているのである。
これは、その善し悪しはともかくも、文化の象徴であると私は思うのである。

ちと前に、品格どうのこうのという本が売れた。
読んでないので何の評論も出来ないが(読んだとしても多分批評する気も起こらないだろうが)、格というのは単なる位置関係のことでしかなくて、そこにいるときの振る舞い方、位置特定の仕方を品というのである。だから、何も格好つけて「品格」何てことを言わなくてもよいのである。品格が位置関係だということならば、自分を相手にしてくれる相手がいなければ始まらないのであって、ただそれだけのことなのである。しかし、文化はこれを重んじるのである。そして、この位置関係が分からなくなっているのが現代なのである。

文化という言葉を闇雲に使ってきたような印象を与えているかもしれない。
ここで一言しておこう。文化とは、自分と違うものが存在するという意識であり、それ以上でも以下でもない。
一見すると、品とは基本的に相容れない概念である。しかし、高貴であろうがなかろうが、そんなことには無縁な概念である。
自己に文化があると思うのは、自分とは違う「夜郎自大」が他にはいるというほどのことであって、自分を認めない奴は下品だというだけのある意味「品のない」概念でもあるのだ。
こんなこと言うと暴言ととられるかもしれないが、「文化」などという言葉はそもそも差別意識を窒息させて閉じ込めた言葉に過ぎないのだ。

もう一度、食客の話に戻ろう。
家に食客がいたうちは、互いの差を感じていた。つまり、よい意味でも悪い意味でも文化を体感出来たのである。共有ではない、体感していたのである。共有しているからとか、共感しているからとかは、文化とは何の関係もないことである。文化という差別意識があるからこそ共有感覚が生じるのであり、これなどは食文化を見れば誰にだってすぐに分かることである。侍とかアニメとか茶道とか華道とかを日本文化と言っている連中はその辺のこと、つまり、身体感覚すらも失って脳内麻薬に冒されているのである。

さあ、ここで本当に、食客の話をしよう。
家が開かれているということが前提の話である。社会を文化的に生きようなどとはしない時代にしか生じない現象のことである。
相手の貧乏さ加減をよく知っている金持ちと自分の貧乏さを隠さないお人好しな貧乏人。しかし、そこに生きる人間のほとんどは貧乏人で、お互いそのことがよく分かっている民衆。その間では僻みや嫉みがない。最も清々しい、開けっぴろげな、翳んでいない人間関係である。つまり、オープンの一言である。このような文化は開かれている。多文化どうのこうのを言っているのでは決してない。差があるということを分かっていて、互い同士を差別しているからこそ素直に成り立ち、だからこそその間の流動が可能な関係である。文化的な格差もそこにはある。クラシックを知らない人間もいれば、落語を聞いたこともない人間もいる。互いが互いを馬鹿にする。お前そんなことも知らないのか。それで知らなかったことが今度は初めて聞いたことに変わり、次には知っていることに変わる。文化レベルの上下関係はないにしても、最初から何も知らない者からすればそれはプラスに他ならない。差が関係を調整し、そこで生じる交換が流れを生じさせ、それが人間を互いに(善くも悪くも)教化する。食客のモデルはこの教化である。さて、このようなモデルがなくなった時代、何が起こるのか、あるいは何かが起こりうるのか。

言葉は悪いが、簡単に言えば、糞詰まりである。清浄さはない。すべては詰まるのだ。
しかし、これが「個」なのではない。大間違いである。
この言葉について、日本人はどこかで大いに勘違いしたところがある。
「個」というのは差に基づいた概念であるはずである。これ以上分けることの出来ないという意味ではあるが、他との差を前提にした上で別の他へと接続する契機を持った存在者ということを、日本人はもしかしたら理解しきれていないのかもしれない。オタクというものはその代表例で、ほぼ同質の文化しかもたない連中同士を呼び合う言葉であり、しかも、その中でしか流通しない言語を持つ。これは交換のようでいて、同類項を足しているだけで、決定的な違い、つまり、計算不可能な接触などといったものは前提にしていない。互いに理解しようのないことなどは最初から話にもならないということになって、相手を選ぼうとする。さて、ここが大きな陥穽なのだ。

相手を選べるということは文化にとっては何のプラスにもならない。むしろそれはマイナスである。ここでいう意味での「文化」とはその前提が差であり、出会うものぶつかるものすべてがマイナスなのである。そして、それを互いにプラスにするというのが「文化」の極地であり、必要不可欠の条件なのである。

さて、無理矢理ここで終わらせる。
もし、人が文化論を語るときにこの条件を忘れたとすれば、それはその人が便秘で悩んでいるか、非文化人(ただのホモサピエンス)であるかのいずれかであろう。

「腐敗の摂理」はここから始まる。

2010/03/27

哲学とは官憲の賭けである


日常は”常に”非難に晒されている。というと、何のことやら訳が分からない。哲学的な物言いをしたいわけではないが、この日常が誰の日常であるかによって、非難の度合いも異なってくる。もしそれが哲学者の日常であったとしても、それが「日常」である限りにおいては衆生のそれと何ら違いがないとみなされてしまう。しかし、果たしてそうなのであろうか。日常をそのように定義してしまうと、哲学者の思う壷であると私は言いたいのだ。哲学者とて衣食住においては他の人間たちと同じであることには変わりないが、”変態”数学者(四六時中数学の難問にかかり切っている数学者をこう言うのは卑下ではなく、大いなる驚嘆をもってのこと)が日常にズッポリ浸っているとは思えないし、ことは程度の問題であるということである。哲学者とて日常批判をするその手掛かりとしているのは、存在の何がしを探求追求することをよしとする哲学的制度の枠内で許されているディシプリンがあると思い込んでいるからこそのことであって、その思い込みすらなくなってしまえば、哲学はその瞬間から消失してしまう。後に残るのは、人生の問題だけである。「なぜ無いのではなく在るのか」という問いにせよ、バナナを買うたびにそんなことを考えていれば、空腹と貧血で大勢がその場でへたばってしまう。その病名はライプニッツ症候群等々。

そもそも、哲学の顔というのは夜顔であり、なけなしの金を片手に居酒屋の喧噪に紛れて裏覚えの沈鬱な台詞を喚き散らすためか、はたまた、腰巾着を引き連れてバーの暗闇で女を口説くシミッタレ男の顔そっくりに、大抵が何か腹に据えているものがあるのである。日常がそんな具合だから、結局はそれは常に復讐の的とされてしまう。

「日常なんかなくなっちまえ! お前なんか嫌いだ! 非日常大好き! フリーク礼賛!」等々。

真理は誰が保証するのか。神と言ったらそれまでで、それは哲学者が一番使いたくないクリシェである。そもそも話が盛り上がるところこそ真理が顔を覗かせる場所で、ソクラテスの十八番である。彼からすれば、哲学者の独り言から真理が引き出せるというのはとても考えられない話だ。だから、哲学者には夜の顔が似合っている。居酒屋で反吐を吐くか吐かれるかしながら、真理が顔を覗かせる。

「もっと指を突っ込め、そうすれば楽になる」(定言命法)

この居酒屋哲学を近代では講壇哲学という。すると、それそれは滑稽なことになる。定時のお散歩から駆けつけた”官賭”老教授はチューハイ片手に何やらおもむろに、マスター(主)の頭の上に徳利(道徳)を載っけて楽しんでいる。

「ヤーヤー! ヤーヤー! ゼアグート、ゼアグート! ダスイストファンタスティッシュ!」

カウンターでは白手袋とコンパス・定規をあしらったエプロンを身につけた”官賭ファンクラブ”会員は皆、シコシコとメモ取りに余念なし。

「大学の哲学」というのは存在しない。大学で哲学が可能であるのは、それが哲学ではないからである。というよりも、それが自らを哲学と言い張っていられる場所がある限りは、自らが何ものでもないことを証明しているからであって、その証明は人畜無害の証しであるからである。そのような証明が嫌であれば、哲学は大学から出て行かなければならないが、だからといって哲学が在るという証明にはならない。それは制度としてあるとしても、その枠を必要とするような哲学なのであれば、僕はバーに行って、マスターとイナイイナイバーでもしてた方がましだ。

「Nein Nein Bar!」(今日もやってますよ、うちは)

2010/03/01

ドミートリィ・ガルコフスキー「終わりなき袋小路」66

66

No.52への注釈
ロシア人においてはというと、西と東が合い間見えたのだ。

 要するに、合い間見得ぬものが一つになった:古典時代、またそれ以前からさえ結合されることのなかった人類発達の二つの枝が一つになったのである。なにしろ、野蛮であった頃の、文字を知らぬギリシャ人でさえもが、古代ゲルマン人と同様、東方諸民族とは驚くほど異なっているのである。いわば、〈別種の猿から発生した〉ともいえようか。
 ここで、つまり、ロシア人は...それはダックスフンドやボルゾイ、ブルドッグや狆、プードルや牧羊犬を掛け合わせたようなものだ。そこで生まれてきたのは一種の怪物。前足はボルゾイ、後足はダックスフンド、一度食い付くとなかなか放さぬ狆、そして人間には金属的な咆哮と嗅覚をもった善良なプードル。
 一般的に、新種をつくることは非常に難しいとされている。突飛な掛け合わせをすれば、月並みなただの雑種が生まれるか、同じ血統でも弱い種を生むことになる。また頻繁には、血統を絶つような世代を生むだけのことになってしまう。歴史上、このような民族は数多い。そして唯一、掛け合わせの中ではひとりロシア人種だけは生き残ったのであり、しかもオリジナルで、独特の、合い間見得ぬはずのものを一つにする何かとして生き残ったのである。しかしそれは何か重々しく、不気味であり、織り目正しくない、「そんな事あり得ない」が生まれたのである。
 思うに、成功裏に終わったハイブリッド化の理由は次の点にある。一つめは、広大な平原領土、当初は何もなく荒れてはいたものの、殖民にとっては比較的恵まれ、しかもヨーロッパやアジアの居住地域からの侵入があった所だ。この空無と広大無辺はエスニック的素材の発芽と出現を促すことになった。原初のスラヴ住民は急速に出現し始めたが、他のエトノスに圧力もかけず、駆り立てることもしない代わりに、彼らにその住処とする森の中での成長と段階的なハイブリッド化、それに均一化を許していった。ポローヴェツ、キプチャク、フィン・ウゴルといった種族らとの最初の同種療法的交配は土着のアーリア-キリスト教的基盤のもとで高い適応能力を作り出し、解毒剤を与えた。結果、モンゴル系汗国はロシア系民族を呑み込むことも、変質させることも出来ず、その反対に、汗国自体がかなりの程度同化されたのであった。こういった同化現象の際に起こったことは、スラヴ派が誤解しているような劣化などではなくて(因みに、このような誤解はキーレェフスキー兄弟やアクサーコフ兄弟にアジア系の血筋が入っていることからみればお笑い種である。)、逆に、ロシア人種の複雑化と固定化だったのである。一方、ロシアにはそのはじまりから、スカンジナヴィアやヴィザンチン的要素、したがって、ポーランド、ドイツ的要素が入り込んでいた。尤も、この侵入もまた次第に段階的に起こったものである。交配の極端な長期性、段階性のうちにこそ、どうやら相対的な成功の秘密が隠されているようだ。それに、規模も加えておこう。古代スラヴの血の中への西欧及び東方的構成要素の多層的で、複雑で、そして一貫した流入、しかもその大規模流入こそは、極めて特異な大ロシア民族を形成することになったのである。少しでも脇にずれたり、少しでも速かったり遅かったりしていたならば、何も起こらなかったであろう。例えば、ウクライナ人は少しずれている―だから、もう違う(70)し、もはや「二級品」である。

ドミートリィ・ガルコフスキー「終わりなき袋小路」48

ドミートリィ・ガルコフスキー「終わりなき袋小路」48

No.44「ロシアとは西欧の実現なのである」への註釈

 物理的にロシアは、ぼんやりとした形の無いヨーロッパである。ベラルーシ人、ウクライナ人そしてロシア人とは、ヨーロッパ的多様性という三葉の花弁である。ヨーロッパのスペクトルとは何かと言えば、スウェーデンからイタリアまでのことだ。ロシアではそれと同じ距離の鬱々とした平原にやはり同じ数の住民が住んでいる。幽かに耳へ届く多様性の仄めかしがあるばかりだ。とは言え、ポモール(訳注:北氷洋・白海沿岸地域のロシア人)とテレーク・コサック(訳注:カフカース地方からカスピ海に注ぐテレーク川沿岸のコサック)も、スウェーデン人とイタリア人との比較となれば、どちらも似た者同士である。後者の場合、共通した歴史が彼らを結び合わせているにも関わらず(ヴァイキングが国家を創設したのはイタリア南部)、スウェーデンとイタリアの違いには驚くべきものがある。
 こういった単調さが観念の領域においてはロシアをヨーロッパの拡張器にする。あらゆる出来事は粗雑に、しかも巨大な規模において生じる。ロシアはヨーロッパ的イデアを拡張し、それを不条理にまで至らしめてしまう。ヨーロッパならば、バイロンといっても、それは蠅が飛んで去ったほどのこと。ロシアでは、作家となればそれこそ神様となってしまう。ロシアでは八世紀ものあいだ同じ一冊の本が読まれてきた。敬読してきたと言おう。校閲を重ね、細分してきたのだ。書いてある通りにものを考え、理解し、世界を分析し、世界と自らの内側に入り込んでいった。教条主義に信奉し、分かるようになるまで何度も繰り返し読んでは、世界の何たるかが分かるように自分に読んで聞かせてきたのだった。それ以外の本が鼻の下に押し付けられたことで、世界像は破壊し、文化の遺伝子は変異してしまったのである。ヨーロッパ的ルネサンス、ヨーロッパ的宗教改革、ヨーロッパ的啓蒙主義の複雑な時期がロシアで生じたのだ、否、突如飛び出してきたのだ、恐ろしいまでの呆気なさで 。

2010/02/09

あらゆる非は日本国政府真理省にあり

シー・シェパードの記事を読む。そして、彼らのサイトに飛んでみる。

一番先に目に入ったのが、左側真ん中あたりにあるコラム「サポーターズ」。

ダライ・ラマは好きでも嫌いでもない。坊主だからだ。猊下と呼ばれる彼だが、私にはただの坊主でしかない。坊主という言葉が嫌ならば、単に仏教徒と言ってもいいが、聖職者は皆私にとっては坊主だから仕方がない。いずれにせよ、ダライ・ラマの登場は意外でもなんでもなかった。ヨーコ・小野でもピッタリきそうだが、自由を半ば奪われている亡命者を「サポーター」にしたところなどは美学的に正しい。

エコロジーと仏教はすぐに結びつく。しかし、その理念的繋ぎ合わせをやり過ぎるとジャイナ教みたいに蚊も殺さないお人好しになってしまう。だから、どこかで線引きと言うか、どうも仕方のない我ら「生態系長者」の首を守るサポーターが必要になる。その教えが仏教なのだが、結局ここには宿命的な破綻が見える。宗教団体であろうが保護団体であろうが、生を相手にし始めると、どこかで底が見えてしまう。宗教は生の底なしであることを標榜して憚らないのだから、環境団体が彼らに縋り付くのは常で、しかもそれは不条理ですらある。理由は単純で、生の底など彼らは微塵たりとも信じていないからだ。これこそ、彼らが宗教に救いを求める時に見えてくる論理的破綻だ。

ジョン・レノンが偉大だと仮にも思えるのは、「戦争は終わった」というのが彼の戦争の合い言葉であったことで、これは彼が理想を掲げた瞬間に自らの論理的破綻を倫理的乗り越えようとしたことを証しだてることにこそ彼の闘いがあったということで、こういった闘いにはそもそも終わりというものが前提されていない。ジョークによって人を困惑させるだけでなく、惑溺させることほど、高等な技はない。

仏教の話に戻るが、人類という娑羅双樹の花は結局はいつか色褪せるのが落ちである、というルサンチマンがこの宗教にあるか無しかはともかく、坊主の話は大事なことを言うのをなるべく避けようとする。方便というやつだ。話しても分からない相手に色々御託を並べてもためにならないから、それなら言わないでおくという相手への配慮だ。そもそも、仏教は行あってのもので、それもなしにいきなり梯子の天辺には上がらせてもらえない。だから、それを真に取ってしまう輩が多い。

シー・シェパードのサイトは言うなれば、修行なしに何かお墨付きでも貰おうという類いのものか、さもなければ、捕鯨妨害を自らの修行とみなしているかのどちらかなのだろう。しかし、それが修行とは見えないのはなぜだろうか。

WE WON'T STOP UNTIL WHALING ENDS.

捕鯨停止こそが終局の目的ででもあるかのようなスローガンだが、これは修行ではなく、興行に近い。

彼らのメンタリィは基本的に「傭兵」のそれに似ている。ただ、そこには捻れがある。傭兵はそもそも職にあぶれたものがならざるを得ない有り難くない職であって、理念からはもっともほど遠いと思われがちな連中である。しかし、軍属として雇われるには自分で武器から何から調達せねばならず、官製のお仕着せなどない。勝手になりたい者がなる職業なのだ。この理念のなさが彼らに理念を渇望させる、と考えるならば、シー・シェパードが海洋動物の尊さを求めてやまないのはあまりにも当然すぎる。海洋動物は今や最大のお得意さんであり、ここでもし日本が捕鯨を止めたしたら、お得意さんはいなくなるだけの話で、別の得意先を見つけ、またさらに崇高な散財を続けることになるだろう。だから、本当のスローガンはこうなのだ。

WE WON'T STOP UNTIL THE WORLD ENDS.

2010/01/10

AD INFINITUM


セレブという言葉が使われるようになって何年経つのであろうか。
私はこう言う俗な言葉の氾濫が好きでたまらない、なぜなら、その俗っぽさを嗤うのが私の唯一の趣味だからである。
このように「人間性」が壊れている私にとってはそれゆえ、セレブと呼ばれるような人間などこの世にはいない。
あるいは、全く信じないといった方が正確であろうか。

セレブというのは、ミーちゃんハーちゃんにとっての聖人であり、一方聖人は、篤信家にとってのセレブである。
セレブ=聖人のどちらにもなろうとすると失敗するのが落ちであり、オウム事件の時点で麻原は僕の「セレブ」ではなくなった。
財界人に確たるセレブ風を吹かせている中村天風のようなヨガ行者まがいも、それなりに彼らなりの聖人と呼べなくもないが、僕にはどうも胡散臭いセレブに過ぎない(否、胡散臭いからこそセレブなのかもしれないが、このさいどちらでも構いやしない)。

しかし、この胡散臭さはいつ滲み出始めるものなのか。
「カラマーゾフ兄弟」を思い出す。聖人としての誉れ高きゾシマの遺体は腐ることなくそのまま聖遺として残されるはずであったが、それも自然の力には勝てず、周りの人間の意思に反して腐って行くエピソードがあったはずだ。こういう「ゾシマ」の話は民衆のあいだではいつまでも絶えることがないようだが、心の中にこういった聖人がいれば、心はささくれ立つこともないというのであろうか。しかし、それはあり得ない。民の自己暗示力がどれほど持続するかが、その崇拝対象である人間の「セレブ聖人」たる所以を保証してくれるだけだということは今更言うまでもない。しからば、その「セレブ聖人」という虚像を作り上げている世間も世間だ。そして、この茶番の主役はメディアである。

メディアはあいだに割り込み、あいだを作る、その善し悪しはさておき...と言いたいところだが、メディアの前提が「善」というイデアであるとすれば(これは甚だ疑問が残る)、あいだは本来満たされなければならないはずだ。しかし、この溝が埋まることがない。この世に「あいだ」が出来ると言うのは理の当然だとしても、そのあいだをあいだとして残し続けるのがその証しであるかの如くメディアは存在を続ける。そしてそれはad infinitumに膨張することを余儀なくされる。

仮に、セレブ的あの世と腐敗するこの世とのあいだが充たされているという錯覚を生み出す作為がメディアのイデアであるとすれば、誰のお世話にならずとも生きていける世などないことは言うまでもなく、またこの世は今「ほぼすべて」メディアのイデアに汚染されていると言ってしまってもよい。本来、誰の世話にもならず、誰に迷惑もかけずにいることが「善きこと」であり、つまり、プラトン的な意味での自己充足こそが「善」の本来の意味であることを忘れなければ、メディアの興隆はなかったはずだからだ。「壁」だとか「品格」だとかいった言葉に踊らされることもなかったはずだからだ。

こう言いながら、私もこのようにあいだに割り込んでいる。媒体に乗らなければこのようなことは起こりえないことで、しかし、この媒体もなければ反論も差し出しようがない。ただ問題は、そこに暗示を忍ばせるかどうかにある。あるいは、誘導と言ってもいい。マーケティングは暗示と誘導というこの二つの武器がなければ箸にも棒にもかからない無用の長物であるしかなく、これを武器に出来るからこそパブリックリレーションズが成り立つというわけだが、それならばメディアなどはただの商品購買力を喚起するための先兵に過ぎないことになろう。ニュースリリースにぶら下がる広告をすべて振り落としたところで、恐らくこの事実は動かない。

ならば、私はこの自己広告を振り落とした瞬間に無になれるのか。これも甚だ疑問である。となると、純粋に書くということは、無になるということからは甚だ隔たった行為だということになりそうだ。

私と世間との「あいだ」も、やはりad infinitumに膨張する。