2006/03/22

理の性

「ETA」が弱小言語であるバスク語の研究集団から武装集団に変貌していったが非合法組織というのは知られている。

不謹慎ながらも、私はいつもこの「豹変」としか言いようのない人間行動が不思議でならないのと同時に、非常な興味をそそられるのである。かつては西ドイツなどを中心にしてヨーロッパにはゲリラ組織がうじゃうじゃ散在していた時期があるが、そのなかに、科学的な方法でテロリストに仕立て上げられた連中がいる。今で言えば「洗脳」ということになるが、要するにそれは複数名の被験者を「急進的社会主義者」に「改造」するのだ。理念的に言えば、彼らの頭の中は正しい思想が沢山詰まっていて、それを実現するためには自分たち以外の人間も自分たち同様に改造しなくてはいけない。だから、論理は「世界=瑕疵」であり、善くないのである。この改造行為を外化による理念の実現と呼んでもよいが、結局彼らは本当にテロリストになって、ストックホルムのある大使館で殺害事件を引き起こしてしまう。

理性は息苦しいものであり、その苦痛は人間を発狂寸前にまで追い込むことがある。たしか、「ハムレット」にも、狂気にはそれなりの理屈があると、という一節があったと思う。俗に「もっと理性的にならなきゃ」と言うが、何のことはない、それは「話半分くらいで理性に従う」くらいのものであって、理性的人間を極限まで追い込むとどうなるかは、上にもあげた事例が示してくれる、つまり、理性はその究極形態において常に破滅的であるということを。