人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2006/10/01
人は給食のために生きるにあらず
例えば、実存をめぐる不条理(自分の生の意味を推し量ろうとして、結局死の意味をもそれに対置させねばならず、結局は問いそのものが変質してしまい、常に袋小路に陥るしかない「生の問いかけ」がもつ条理)を、「生んでくれと頼んだ覚えはない」という格好の非論理をもって親にすごむ子供は後を絶たず、その生命力はゴキブリのそれに等しい。自らの実存を楯にする現代人だが、子供でいるうちはまだその幼稚な論理を玩具にして遊んではいられるが、成人して烏色の硬い羽を生やしてしまうと、自活のために餌を求めて地を這い回らねばならない。だから、普通は早々に上のような幼虫的論理は卒業するものである。
今回は別段、生命の尊さを論じようと思って書いているのではない。ある問題の実態について知りたいのだ。
それは、給食代を払わないガーディアンたちのことだ。
この報道の前面には「支払い拒否」ばかりが出ていて、果たして拒否しているならば、その子息たちに弁当を持たせているのかどうか....
いずれにせよ、現時点ではこれだけで言語道断とは言わないでおくが、「拒否」の「論理」は多分、「NHK受信料」とかの問題と同じなのだろう。
「水道を引いてくれと頼んだ覚えはない」とは誰も言わない。
しかし、支払いを拒否し、その肩代わりを教師のポケットマネーに頼るようなガーディアンをもつ子供は、これをどう見ているのだろう?
きっと同じような、でも少し視線を変えた論理が飛び出すはずだー「日の丸弁当ばっか作ってくれって言った覚えはない」
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