2007/06/22

無差別撤廃




将来、男女均等社会というか、それ以上に、男女無差別社会が訪れるのもそう遠くない、と想像することに大して喜びも悲しみも感じないにせよ、物事というか、モノを混同するのが嫌いという人は多いし、それを見ていて違和感を抱くことも少なくない。例えば、豚肉と牛肉をミンスして混ぜ合わせたものを「合い挽き」といい、また、男と女のデートも発音上は同じく「逢い引き」という。一つになることが分かっている分には違和感はない。しかし、この二つを引き合わせる訳にはいかないマッチョの世界では「男」は「男」であって、「牛」は「牛」である。同じ餌を食べていても、豚小屋の臭いは牛小屋の臭いとは違うし、その肉の味が違うのも確かだろう。グルマンの跋扈する世の中に、どれだけの潜在的味覚障害者がいるかは知るよしもないが、ミンスして逢い引きさせた肉弾二銃士を誰が顧みるのかには興味ある。コープはさっそくこの単性肉を装った「逢い引き銃士たち」を商品棚から撤去。消費者という圧力こそがバネの生協にとっては、当然の措置だ。警察も黙ってはいない。ただ、これは不正競争を防止し、嘘をついてはならぬというお題目の上で動いている。

しかし、そもそも、動物には言葉が具わっていない。自分が牛だの豚だのと自己申請することも出来なければ、生物学上牛でも豚でも、人の見た目が牛豚であれば、牛豚と呼ばれてしまう。これをもって、人間は冷酷だとは言わないが、男女の性差にしても同じことが適用されるのをわれわれは知っているし、未だに「性同一性障害」というおぞましい医学用語をレッテルに持つ人が「社会的」に抵抗する姿も目にする。彼らへの眼差しは、この「逢い引き銃士」として偽装ミンチを駆逐する者たちの視線と交差しているとも見える。全くもって牽強付会だが、今度の事件を逆に同性の「逢い引き」励行だととれば、少しは気分は晴れるのか。