2009/06/02

アウクツィオン「道」(1993)

Pereat vita...

二つのことに気づく。

人には気質というものがある。私は血の気が多いほうではなく、鈍重というわけでもないので粘着質でもないのだろうが、鬱々といった気分が支配的であるわけでもない。やはり、気難しいといったほうが正しいのだろうか。そうなると、いわゆる”黄胆汁”の気質なのだろう。

少年時代は昔は血の気が多かったほうだと思う。転校生だった僕は、いつもポケットに尖った石を忍ばせ、いつ来るか分からぬ仮想敵からの保身に備えていた。というか、母親の話ではそうだったらしい。勉強もそこそこ、運動は学年でもピカイチ、と言えば、今ではどこか嘘っぽいのだけれど、運動は万能だった。ドッジボールをしても絶対にあてられることがなく、どんなボールも今思えば神業としか思えぬこなし方で捌いては、必ず最後の一人になるまで粘った。

そんなある意味幸福とも呼べる少年時代が音もなく過ぎると、一気に舞台の照明は暗転する。何が変わったわけでもないが、膨らみかけた少年心理は内向へと傾く。スポーツからもほどなく離れ、音楽が僕を支配する。流行りの音楽もそこそこに、二十年以上も前の舶来ポップスを一心に聞き、分かりもしない英語の曲ばかりを聴き始めた。もしかすると、この頃が最も自分にとって幸福感を実感出来ることの出来た時期だったのかもしれない。本当に一心だった。

今振り返ると、自分が何をやりたいかなどと考える暇などなかったと思う。そもそもそういった問いは文字通り暇な人種にしか、あるいは、意識が散漫である人間にしか生じることのないものなのかもしれない。こういうと叱られるかもしれないが、きっとそうなのだ。仕事もしかり、一心に何かに打ち込んでいる間は、問いは生じない。これが可能になるのは、問いを提示することを生業とする職業か、さもなくば、それに憧れているだけの凡庸なる俄哲学者においてしかない。

だれも、かっこのいいことには憧れる。マーケットに溢れる哲学書に耽り、日常を批判する哲学者を知って、その勢いでというか、その戦略に嵌ることの何と多いことか。僕には苦手である、そういった日常批判に自らの日常を批判せぬま飛びつく連中は。ハイデガーはそれなりに尊敬はするが、その後に連なる輩どもは、どうみてもネオナチに見えて仕方ない。話が脱線した。今日はどこか脳の奥と指先がおかしい。

二つのことに気づいたというのは、次のようなことだ。

先日トイレの水が止まらなくなった。そこで徐にタンクの蓋を持ち上げ、中の水量を確認する。異常はないかに見える。しかし、水はいっこうに止まる様子を見せない。そうしていると、見る見るうちに水の嵩が上がり、かろうじて配管口から水が流れ出していたので、外に溢れ出ることはなかったが、どうしても水量調節が分からない。そもそもトイレの仕組みを知らないからだ。よく見ると、トイレタンクの仕組みが至って単純であることが分かった。水嵩の上昇に合わせて、調整弁と連動したブイが持ち上がる。すると、最後まで持ち上がったときのブイの角度で丁度調整弁が閉まる仕掛けになっているのである。そうなるともう、水は出てこない。ブイは水面に浮かんだ状態で、流水口を調整弁で閉じるのだ。トイレの水が止まらなかったのは、問題のブイがネジ式で取り付けられている部分から緩みだし、知らぬうちに外れてしまっていたらしいのだ。それが分かると後は単純。ふたたびブイを所定のメス部分に捩じ込み、正常な状態に戻った。ここにきてはじめて気づいたことを述べる。私にはこの自分の分からないものを一から点検し、問題の原因を探り出し、果てはその未知であった仕組み全体を解明し、なおかつ問題を解決するという「修繕」の本体に異常に心惹かれていることに気づいたのである。

以前からマニュアルを読むことがない私だが、そういった人は多いと思う。それは面倒であるとか、そうするに及ばない、と色々理由はあり得よう。しかし、私の場合、マニュアルを読むと楽しみが半減するという意識が常にあった。未知のものであればよいのを、わざわざ解説してもらってどうするのか、という意識だ。ただ、こういう意識はときに裏目に出てしまうことがある。職業的ではないこういった態度は、例えば論文を書くなどという作業では禁物だろう。私自身による解決だと思ったことが、すでに世に出て久しいありきたりな解決案だということも生じかねないからだ。いわゆる、井戸の中の蛙状態。

もう一つ気づいたこと。

これは手短に書こう。
最近のことだ。私は教育者という立場で職場を毎日点々としている。意識はしていなかったが、それが私の外面的な姿であり、また要求されることでもあった。もともと、教える能力に劣等を感じる自分は、なるべくそういったことを考えないよう務めてきたこともあり、自らの職に対する気負いといったものも特に感じなかった。しかし、今日、自分が教育者として自覚し始めていることに気づいた。これまでならば、それはとてもあり得ないこと、常に学ぶ者という姿勢を失いかねない危険な自覚ではないか、と常々警戒していた。ところが、年月は人を少しずつ浸食するのである。あるいは、私自身がこのような警戒心を自ら浸食し始めているのかもしれない。

「修繕」と「教育」。この二つにはどんなつながりがあるのだろうか。前者は過去への執着を示しつつ、いつでも朽ちる可能性のあるものを現在に従わせる。後者は現在を素材とみなし、そこから可能の未来を彫琢する。過去と未来の狭間にあって、その犯すべからざること、犯罪的であることは、過去と未来を現在に還元し尽くし、それを静観する態度と言えばいいのだろうか。言葉はこれ以上尽くさないが、多分その辺のところを考えておけばいいのだろう。今を永遠として。