何はなくとも、今はチャイナなのか。
100円ショップがなければ生きていけないわけではないが、ひどすぎる話もある。
先日、トランプをたまたま買う機会があった。
プラスティック製のトランプだ。
安物買いを避けようとしたが、ダメだった。
箱を開けるとナンジャラホイ。
41枚のお出まし。つまり、全部で11枚も足りない。
フリーマーケットでももっとマシだろうと思ったが、
それとも、中国では41枚が正統なカード数なのだろうか。
100円ショップを殿さま商売と呼べないとしたら、これなんぞは足軽商売とでも呼ぶのか。
ちなみに、ジョーカーはしっかりと二枚揃い。
すっかり担がれたぜぃ。
人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2007/09/13
2007/09/01
人は悪ゆえに正気なり
こんな声が聞こえてきそうだ。
「不思議でならないのよねぇ〜。そう、裏金・不正受給が問題になってるけどさ、表金ってのはどうなのよ。
それって、いいわけ? 特定の支援者が払ってるお金って、結局は利益供与に何ないわけぇ〜?」
利益供与とは、商法上の話として考えた場合、総会屋のことがすぐ思い出されるが、赤の他人の人間関係なんてのは、そもそも全て商法的な言葉で片づくものである。つまり、利益不利益のバランスに基づいて人間っつうのは動いている。「金じゃねぇんだよ」との非難もあろうが、利益とは金だけじゃないということを断っておこう。
政治家の裏金とか、不正献金とか、不正受給なんて話が多い。だが、そんなことはどうでも良いと思うべきだろう。
そもそも、政治家は何某かの利益保護を代表する。そこに、裏も表もない。つまり、利益保護を代表する限り、それを貫かねばならない。
「政治汚職」とは、上に言った意味での政治家という職が清貧であるとの幻想の上にしか成り立たない虚言である。
職を汚す、というのであれば、それは政治家業という「業」を全うしていると、私は思う。
思う、と書いたが、それは、その業を全うすることを正しいと言っているのではない。
要するに、政治家は「聖職」ではないと言いたいのだ。
やらせればいい。不正受給していようが、領収書を5回ほど使い回していようが、どうでも良い。
それは政治家職の清貧でないことを彼らが身をもって実証しているのだから。
悪の実証である…悪人正機?(五木寛之じゃあるまいし)
五木寛之で思い出したが、四月の帝国ホテル前ですれ違った。上野公園のジャズフェスティヴァル後の花見のあと、地下鉄経由で六本木を歩いていた時のことである。
悪戯半分で、ロシア語で話し掛けようとしたが、大層べっぴんの編集者風麗人が同伴だったので、止めた。
ちなみに、あの髪型は、闇夜でも絶対分かる自信がある。
「カラマーゾフ、万歳!」
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