人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2009/07/14
All you need is Law...Law is all you need.
今日は最も私の中でホットなネタである。
まあ、ホットだからといって心が豊かになるのでもなけりゃ、明日への活力を得たわけでも無論ない。
70歳男性の万引き話である。
この微罪に対して求刑3年、そして判決は懲役2年。
常習性、つまり、手癖の悪さに対するこのような裁定で、彼が盗もうとしたのは98円の消しゴムであった。
こういった高齢者の万引き、しかも常習的であることの背景には様々な理由があろう。ただ、生活保護を受けていることに託つけて、微罪に対する情状酌量をあわよくば期待出来るのではないかという彼の法意識の低さにも、このようにかなり重い裁定を導いてしまった原因があったのではなかろうか、
しかし、である。
市井の立場は法の立場でなければならないとは限らない。法を無視しろというのではなく、法に縛られるなというのでもない。そうではなく、司法の手前で警察が介入する場を作りださないというのが市井の一つの立場であると私は思うのである。民事レベルの問題をすぐさま刑事レベルにまで引き上げるのは如何にも容易なことだ。起業主、販売主からすれば、商品を盗まれるのはやり切れないことではある。しかし、問題の解決には様々な形があってしかるべきであり、罪を憎んで人を憎まずというのは、別に法曹界の常識だけではなく、一般的常識であってもよいはずだ。
98円である。
1円でも盗んだら泥棒だ、というのは法原理においては間違ってはいないであろう。しかし、主義は悪を容易く生むものであることは歴史を知る者ならば常識として理解しておくべきであり、それが何か社会にとって必要なものを生み出しているかと言えば、必ずしもそうとは言えない。98円の消しゴムを盗まれたことに対する今回の制裁は、喩えて言えば、メンチを切られたから殴り掛かるチンピラと同じレベルにある。しかし、これは「出るとこ出ようじゃねぇか」といったレベルなのか。おそらく、違うだろう。
今では、現行犯逮捕については民間の人間であっても、警察力に成り代わって行なうことが事実上可能である。だから、誰でも、非常時においては警察官になれる。すぐに「善玉」になれるってわけだ。しかし、善の何たるかを考える必要があろう。善は、目の前に悪い奴が現れたからといって自然発生するようなものボウフラ的存在ではない。70歳だからといって、諭すことに及び腰であるような人間が善人を気取ってはならない。否、そもそも、法に善などないと言った方が本当は正しいのであろう。ただ、われわれは法を対して理解していないにもかかわらず、法を全てだとは思ってはいないだろうか。法を統べるものが何であるのかが結局のところ分からないところに法は勝手にオッ立っている。それが法の本当の姿である。善はボウフラ的存在ではないとは言ったが、実は法はそれに限りなく近い。原理というのはそもそもそういった頼りないものであるからこそ、体系を必要とし、その上で胡座をかくものなのだ。そこにまた人間が胡座をかくもんだから、話はさらに厄介になってしまう。法のためにボウフラになってはならない。否、こんな言い方はボウフラに失礼だ。勝手に善を担いではならない、何を担いでいるかも知らないうちは。
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