人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2006/02/28
時計を全部止めてくれ、電話の線も切ってくれ
W.H.オーデン
時計を全部止めてくれ、電話の線も切ってくれ
うるさい犬は美味しい骨で黙らせて
ピアノの音を消し、太鼓は布で覆い
棺を外へ出してくれ、葬い客を通しておくれ
飛行機に頭上で嘆きの円を描かせて
空に書き殴るメッセージは、カレ ナクナル
喪章を伝書鳩の白い首に巻き付け
交通整理の警官には綿の黒手袋を着けてもらおう
彼は私の北、私の南、私の東そして西
私の平日、私の日曜の憩い
私の真昼、私の真夜中、私のおしゃべり、私の歌。
愛はいつまでも続くと思っていた私だが、間違いだったのさ。
星なんていらない夜だから、一つ残らずつまみ出せ
月もさっさと片づけて、太陽も解体撤去だ
海は遠くへ押し流し、森は吹き飛ばすのさ。
こうなった今ではもう何の足しにもならないのだから。
2006/02/17
2006/02/16
2006/02/11
アリスとテレーズ、あるいはチャーリー・アンド・エンゲルス
「欲望果てる国のアリスとテレーズ」
AFP通信2006年2月14日送信予定の原稿から:
「欲望果てる国のアリスとテレーズ」
今春、ブリティッシュ・レズビアン・ムーブメントにおいて一つの大輪の花が開いた。その衝撃的な内容と芸術的な手法によって演劇界の話題をさらったデュオ劇作家、アリス・ドノヴァンとテレーズ・オッカムだ。
ポスト・フェミニズム運動の衰退していく中、彼女たちが今度持ち替えた武器はシニカルな「ダガー」とも呼べそうだが、その内容の赤裸々さを存分に理解するには、とにかく一度味わうしかない。誰もが読んだことのあるような話を彼女たちは求めちゃいない。その小気味の良さはエイジアンな辛みとジャーマンな苦みのブレンディングが生み出しているものかも知れないが、それは勿論、読者が判断してくれればいいことだ。
かく言う筆者も、実は、今から紹介する彼女たちの小品で出会った言葉のいくつかには今も首をかしげている。知人の言語学者に聞いても、「さっぱり分からない」の一点張り。これには正直、参っているのだ。だが、分からないなりにも、ほかの分かったことだけで充分満足しているのだから、なお一層彼女たちには惹かれてしまうのだ。
とにかく、この彼女たちが今冬世に問うた『D級数』からの抜粋を少し読んでみて欲しい。
『D級数のチャーリーとエンゲルス』by Alice Donovan and Terrese Occum(自動翻訳)
「Dedhalavoch級数」とは、No.1(俗にOssicusと呼ばれる。複数形はOssicua)の洪水に押し流される黄金人間の数が、二回目になるとその倍になると言う、とても信じられない嘘のような数学的秘術であることはカバラ系数秘学者の皆知るところである。これについては、どうしても話の続きをせぬわけにはいかない。
「二回目」というのは、実はOssicusとはずいぶん様子が異なる。Dedhalavochの繰り出すNo.2(俗にUntiumと呼ばれる。複数形はUntia)の雪崩に幸運にも呑み込まれた者たちは、その夜ミダス王の夢を見るというのである。だがその夜見ることになる夢というのは、手にするもの全てを黄金にしてくれるという魔法が切れてしまった後のミダス王の哀れ末路、後日談なのである。
今度の彼が手にするものは全て、価値形態論を論じた『資本論』第一巻に変わってしまうというのだ。絶望に取り憑かれた王は、逃げまどう侍従たちを片っ端から捕まえようとするが、その彼らはというと、阿鼻叫喚であるー
「お許し下さいませ、どうか、チャーリーになることだけはご勘弁を」
「私もでございます、陛下! どうか、エンゲルスにだけは魂を売りたくはございませぬ、お許しを!」
「何を言うか! 貴様どもは黄金になりたいと思わぬのか!」
ーと、見るも無惨なただの価値形態へと変られてしまうのだった。
そして不幸の舞台はこれで幕を引くわけではなかった。そこに、自分の周りを黄金の柱で飾り立てられていく王に哀れみを垂れんとして口づけようとした王妃があった。そう、その王妃すらも裏表紙に往年の髭面デュオ、チャーリー・アンド・エンゲルスの宣材写真を配したあの黴臭い『資本論』へと魅惑の変身を遂げてしまうとは!
嗚呼、この運命の女神たちの謀りごとによって変えられてしまった黄金人間たち!そしてこの夢が、実は黄金人間となった自分たちの夢であったことを知る、吉夢ならぬ既知夢だということも彼らには想像すら出来ぬことだったのだ。
その後、幸運にも、価値形態になることをただ一人免れたDedhalavoch Scatologiqueは、国外追放の憂き目にあった王を断首すべく、断頭台の階段に夜半すぎから降り積もった雪をせっせと掃き清めてしまうと、宮殿を岸壁近くに仰ぎ見ながら、価値形態の並び立つ渚でさざめくOssicuaとUntiaの波頭に身を預けて現れる一つ目巨人フィボナッチの姿を、見晴るかす水平線の向こうにいつまでも待ち続けていた。
ましおい。
AFP通信2006年2月14日送信予定の原稿から:
「欲望果てる国のアリスとテレーズ」
今春、ブリティッシュ・レズビアン・ムーブメントにおいて一つの大輪の花が開いた。その衝撃的な内容と芸術的な手法によって演劇界の話題をさらったデュオ劇作家、アリス・ドノヴァンとテレーズ・オッカムだ。
ポスト・フェミニズム運動の衰退していく中、彼女たちが今度持ち替えた武器はシニカルな「ダガー」とも呼べそうだが、その内容の赤裸々さを存分に理解するには、とにかく一度味わうしかない。誰もが読んだことのあるような話を彼女たちは求めちゃいない。その小気味の良さはエイジアンな辛みとジャーマンな苦みのブレンディングが生み出しているものかも知れないが、それは勿論、読者が判断してくれればいいことだ。
かく言う筆者も、実は、今から紹介する彼女たちの小品で出会った言葉のいくつかには今も首をかしげている。知人の言語学者に聞いても、「さっぱり分からない」の一点張り。これには正直、参っているのだ。だが、分からないなりにも、ほかの分かったことだけで充分満足しているのだから、なお一層彼女たちには惹かれてしまうのだ。
とにかく、この彼女たちが今冬世に問うた『D級数』からの抜粋を少し読んでみて欲しい。
『D級数のチャーリーとエンゲルス』by Alice Donovan and Terrese Occum(自動翻訳)
「Dedhalavoch級数」とは、No.1(俗にOssicusと呼ばれる。複数形はOssicua)の洪水に押し流される黄金人間の数が、二回目になるとその倍になると言う、とても信じられない嘘のような数学的秘術であることはカバラ系数秘学者の皆知るところである。これについては、どうしても話の続きをせぬわけにはいかない。
「二回目」というのは、実はOssicusとはずいぶん様子が異なる。Dedhalavochの繰り出すNo.2(俗にUntiumと呼ばれる。複数形はUntia)の雪崩に幸運にも呑み込まれた者たちは、その夜ミダス王の夢を見るというのである。だがその夜見ることになる夢というのは、手にするもの全てを黄金にしてくれるという魔法が切れてしまった後のミダス王の哀れ末路、後日談なのである。
今度の彼が手にするものは全て、価値形態論を論じた『資本論』第一巻に変わってしまうというのだ。絶望に取り憑かれた王は、逃げまどう侍従たちを片っ端から捕まえようとするが、その彼らはというと、阿鼻叫喚であるー
「お許し下さいませ、どうか、チャーリーになることだけはご勘弁を」
「私もでございます、陛下! どうか、エンゲルスにだけは魂を売りたくはございませぬ、お許しを!」
「何を言うか! 貴様どもは黄金になりたいと思わぬのか!」
ーと、見るも無惨なただの価値形態へと変られてしまうのだった。
そして不幸の舞台はこれで幕を引くわけではなかった。そこに、自分の周りを黄金の柱で飾り立てられていく王に哀れみを垂れんとして口づけようとした王妃があった。そう、その王妃すらも裏表紙に往年の髭面デュオ、チャーリー・アンド・エンゲルスの宣材写真を配したあの黴臭い『資本論』へと魅惑の変身を遂げてしまうとは!
嗚呼、この運命の女神たちの謀りごとによって変えられてしまった黄金人間たち!そしてこの夢が、実は黄金人間となった自分たちの夢であったことを知る、吉夢ならぬ既知夢だということも彼らには想像すら出来ぬことだったのだ。
その後、幸運にも、価値形態になることをただ一人免れたDedhalavoch Scatologiqueは、国外追放の憂き目にあった王を断首すべく、断頭台の階段に夜半すぎから降り積もった雪をせっせと掃き清めてしまうと、宮殿を岸壁近くに仰ぎ見ながら、価値形態の並び立つ渚でさざめくOssicuaとUntiaの波頭に身を預けて現れる一つ目巨人フィボナッチの姿を、見晴るかす水平線の向こうにいつまでも待ち続けていた。
ましおい。
2006/02/04
僕の旅したことのない場所
E.E. カミングス
あるどこかで、僕の旅したことのない場所で、嬉しいことに
いかなる経験も及ばぬところに、君の瞳がじっと黙ったままでいる:
そこはかとない君のか弱き素振りの中に、僕を閉じこめてしまうものがあるのか、
それとも僕にはそれが近すぎるがために触れることが出来ないのか。
君のちょっとした眼差しに僕はいつも容易く剥き出しにされてしまう
自分を拳のように堅く握りしめているのに、
君は決まって僕なんか花びらみたいに開いてしまう、まるで春が開く
(その巧妙で、神秘的な指使いで)その先駆けるバラのように
あるいは、君が僕など閉じてしまいたいと思えば、僕と
僕の命など、いとも可憐に、瞬く間に、閉じ込んでしまう、
まるでそれは、この花が心の中で
至るところで気遣いながら降り行く雪の姿を思い描く時のように
何ものも、僕らがこの世で感じるものに,
君の激しい脆さほど力強いものなんてない。だって、その織物は
それを織り上げた土地の彩りで僕を跪かせ、
死と永遠を互いに息づいたままにして返そうとするのだから
(僕には分からないままだ、君の一体何が僕を閉じさせたり
開かせたりしているのか。僕のなかの、あることだけは理解している、
君の瞳の声がどんなバラよりも深いところにあるのを)
誰一人、雨でさえ、そんな小さな手はしていない
あるどこかで、僕の旅したことのない場所で、嬉しいことに
いかなる経験も及ばぬところに、君の瞳がじっと黙ったままでいる:
そこはかとない君のか弱き素振りの中に、僕を閉じこめてしまうものがあるのか、
それとも僕にはそれが近すぎるがために触れることが出来ないのか。
君のちょっとした眼差しに僕はいつも容易く剥き出しにされてしまう
自分を拳のように堅く握りしめているのに、
君は決まって僕なんか花びらみたいに開いてしまう、まるで春が開く
(その巧妙で、神秘的な指使いで)その先駆けるバラのように
あるいは、君が僕など閉じてしまいたいと思えば、僕と
僕の命など、いとも可憐に、瞬く間に、閉じ込んでしまう、
まるでそれは、この花が心の中で
至るところで気遣いながら降り行く雪の姿を思い描く時のように
何ものも、僕らがこの世で感じるものに,
君の激しい脆さほど力強いものなんてない。だって、その織物は
それを織り上げた土地の彩りで僕を跪かせ、
死と永遠を互いに息づいたままにして返そうとするのだから
(僕には分からないままだ、君の一体何が僕を閉じさせたり
開かせたりしているのか。僕のなかの、あることだけは理解している、
君の瞳の声がどんなバラよりも深いところにあるのを)
誰一人、雨でさえ、そんな小さな手はしていない
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