人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2007/06/19
ドクトル・メフィスト
ほとんど20年ぶりに歯医者の門を叩く。
この世から殲滅されても少しも惜しくない歯科医院が
家の近所で最近増殖を繰り返し、ずいぶん前から僕の大事な「親知らず」を狙っていた。
初診の今日は、問診ではっきりこう答えてやったー「歯医者なんか絶滅すればいいんですよねぇ〜」。
すると、奥には僕とさほど年の変わらない「先生」の影がチラッと見えたが、その時彼が苦笑いしていたかどうかは、あの不敵な白マスクに隠れて分からなかった。
以前、呼吸不全でバスを飛び降り、タクシーに乗って近くの総合病院に向かったことがあった。
ただ、その時は運悪く、急患を診てくれる医師がおらずに、たらい回しにされた。
別の病院を紹介してもらった都合、そちらに向かわざるを得なくなり、やむなくまたタクシーに飛び乗る。
でも、気持ちは飛び乗るという言葉とはまったく違い、実際のところは、ひどく懐具合が心許なかったため、呼吸のことなどすっかり忘れ、タクシー代と診療代のことで頭が一杯に。
それでも、結局は「まな板の鯉」は鯉である。というより、懐具合からすれば、せいぜい僕などフナ程度である。
いつもこういう状況が僕を取り巻くと、自分のことを「フナ」だなんだといって卑下しながら、死に神さんに睨まれないようにしているのだ。
いくら喋った所で、捲し立てた所で、看護婦を笑わせた所で、何にも変わらないんだが...
つまり、不安な時は饒舌になるのが人の性なのだろう。今日も同じことを口走っていた。
ちなみに、今日は偶然にもドラマティックな舞台設定だった。
「ファウスト」の第五幕で、これから博士が昇天する直前のところを読んでいたところだった。
勿論、僕にとってメフィストは初対面の歯科医。小さな頃から死ぬほど恐れていたデンティスト=メフィスト。
そして、数十分後。右奥歯の親知らずか子知らずかの歯の抜歯準備開始。
このあたりになるともう現実感が圧倒的で、「ファウスト」がオーヴァーラップすることもなかったが、
それでも、歯の根っこだけは違った。
すんなりと抜けるのかと思いきや、それはまるで性懲りもない魂のように、肉を?んで放そうとしない。
その根っこは文字通り、「豚の蹄」のように三叉に分かれ、歯肉に食い込み、しがみついていたのである。
ファウスト博士には天使たち・マリアたちがついてくれてたが、僕についているのはせいぜい国民健康保険。
ファウストも「3割負担」じゃ昇天するまい。
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