”産経”テレビが昨日、何故か未だに「ゴールデンタイム」と呼ばれ続けている時間帯のバラエティ低迷を分析した。
その結果はすでにネット上でも知られているところだが、テレビに飽き飽きしている人間がこの世に五万といることがある程度伺える。
無論、ネットの言論が世論すべてを反映しているわけではないし、かなりの偏向もある。しかし、だ。どうやら、このテレビの白痴化は社会の白痴化と連動していることはまず間違いないし、言語能力の低下も直結していることを考えれば、日本だけが抱える危惧でもなさそうだ。
私がよく見るロシア系テレビでは、いわゆる「セレブ」がボクシングをする見せ物がある。流行っているのかどうかは不明だが、第一チャンネルというプーチン直下の局だ。セレブといっても、少し日本とは毛色が違うので、「インテリ」と言い換えた方が良いかもしれない。いずれにせよ、立場を入れ替えれば、相撲取りが国際情勢を論じたり、原子力発電の原理を解説するような、まるで無謀な番組を見せられているようなものである。
日本の事情は多少違うとはいえ、弁護士がマラソンをするところを「愛」のオブラートに包んで見せられたのを思い出せば、さほど違いはないようだ。
専ら、テレビはビデオ観賞用にすればよいのであり、そう考えれば、もう以前から家庭娯楽専用へと活路を見出していたのだ。
そもそも、テレビは勝手にやっているわけで、その影響を語るならば別だが、その勝手にやっているものを「ああしろ、こおしろ」と言ってみても意味がないのだ。しかも、そこにはPR(パブリックリレーションズ)が屋台骨を支えている。もし、テレビ批判をするのであれば、先ずもってこのPRを通じて資本を膨らませようとしている企業体に矢を向けるのがコモンセンスであるべきだろう。そしてさらには、「くだらない」と言いながらも不必要な消費をまんまと煽られている視聴者自らが自嘲的であることも必要だろう。
テレビの「窓」に目をやることに飽きた連中は、ネットの「穴」でデバガメ精神を養う。その連中にゴールデンなど興味はない。
好きな時に好きなだけ覗き見出来るネットだからこそ、YouTubeもグーグルアースも成立可能なのだ。
軍事衛星風デバガメ「ブロンズタイム」の到来である。ここに喜びは無論ない...
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