人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2009/12/11
明日の今日逝く
今日行く、行かない、今日行く、行かない...
大学の教育と小中高学校の教育はde facto異なるのは誰も認めるところである。
大学生にわざわざ世間での身だしなみ、これはイカンあれはイカンなどというのはナンセンスだと思う御同輩たちも多いことだろう。
なにしろ、大学を出ることが社会の身だしなみなのだからのであれば大学では何をしていてもとりあえずお咎めなしという不文律、それさえクリアすれば社会は社会人一年生として受け入れてくれるというのだから。社会がまたキョウイクしてくれるというわけである。何というアスのないキョウイク社会...
ところで、マスプロダクションというのは恐ろしい。アイドル発掘と同じく、どこにでもいるような田舎っぺ娘が厚化粧にハイヒールを身にまとえばもう一端のアイドルだというのと同じく、大学証書を手にすれば一端の社会人、その上、社歌なんぞ歌った日にや、もう誰も文句など言えない。どこからどう見てもシャカイ人である。
私は世俗にどっぷりの人間であるが、かといって、シャカイ人のことは自分にとってはガイ人程度にしか思っていない。
親によく言われたのが、このシャカイ人という言葉だ。だいたい、この言葉の後に来るのは「らしく」という正体の分からぬ言葉だ。この日本語の品詞も未だに分からない。「みたいな」なのか「ごとく」なのか、それとも「として」なのか。多分、最後の言葉が一番ピッタリ来るのだが、どのみち曖昧なことには変わりない。このシャカイ人という言葉が、一番今でも癇に障る。
親のキョウイクというのは怖い。ハンかチョウかの博打に近い。
人の家のことは言わないが、ほぼ誰もが実体験としてもつことだ。
もし本心から自分の親は素晴らしいと言える奴がいたら、そんな奴100パーセント信用してはならない。
大学の話に戻そう。
68、9年以降の世代は闘争の遺産として大学内部に少なくともリベラルな雰囲気を残したということは認めても良い。
その行き着いた場所が「授業評価アンケート」である。
これそのものには異論はない。ただ、正直、何を求めて行われているのかが正直分からない。
大学を学生コンシューマー市場に曝すのであれば、そう銘打ってアンケートを行ってもらいたい。
こちらもそれなりの覚悟で望めようもの。しかし、大学の自治の元、自らの理念に基づいて行われているわけでもない。
結局のところ、文科省の求めに応じた官僚的統計調査の一部に過ぎない。
私の中では二つの意見が真っ二つに分かれている。大学の自治。大学の解放。
どちらも本来は60年代的なスローガンである。自治とは、極めて西欧哲学的な立場であるところの大学像である。
この哲学的大学像のために哲学科が閉鎖されるという時代が例えばロシアでは一時期繰り返された。
では解放とは。大学の前進である流浪学生と流浪教授の開かれた共同体。これも分かる。理想だ。
本来、現代的な意味でのサーヴィスというものを行う者は、医者であろうが学者であろうが、定まった場所を有してはいなかった。
それは一種の興行に近い存在で、必要とされる場所に赴いていくのを常としていた。
つまり、必要とされなければ学びの場所そのものが存在しないのであり、誰一人それによって苦しむことはなかった。
教える相手がいなければ、いくら知識を有していようともただの人であって、誰もそれを恨んだりはしない。
知識は本来、そういうものに過ぎないなのであり、そうあるべきなのだ。学びたくなければ学ばなくても良い。
これこそが解放された学問の状態であり、それ以上でも以下でもない。正直、そこには崇高さなどこれっぽっちもない。
至極単純な話なのである。
学生コンシューマーが跋扈するこの時代、何もわざわざ大学に来てもらわなくても良いのでは、否、来ないでもらいたいという連中は、申し訳ないが、非常に多い。開き直れば、大学は何もそんなに大層な場所ではない。大学の自治にしても、それは大学にいることに何らかの利権・利害が存在する人間が口にすることで、何も崇高な理念の上に立った物言いなんかではない。ここに哲学はないといってよい。西欧の大学に置ける哲学の位置づけについては充分理解しているし、その事実を否定するわけではない。しかし、哲学も一つの利害を元に成り立ちうる時代であるからこそ、私は言いたいのだ、目的もない者が大学など来る必要など毫もないのだと。
レイプ事件が起こり、その被害者をなじるような時代である。これを大学(生)の危機と言わずして何と言おう。
人格教育など全くこの世の教育制度からは消滅している。夜回り先生というか、夜回りソクラテスのみが、若者的生の危殆を案じるしかない世の中ー世界は夜なのだ。
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