人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2006/09/27
エスティック・モノノフ
近代教育における「非国語」が国家戦略上位置づけられるのはおそらく19世紀後半あたりのことで、いわゆるそれまでの伝統的「古典教養」がもつ学問的無用性から脱却して、いかにも合理的な視点から導入されることになるのがヨーロッパ近代語である。外国語教育については、本来それが近代国家の産物であるということと国家経済の効率性を結びつけずに考えることは出来ない。例えば、外国語オタクというのはどの時代にも存在するが、彼らが非効率な存在種、つまり生産性に乏しい人種であることから考えても分かるとおり、金持ちであるためしはおよそなく、国家にとっては多分にその存在さえも眼中にはないものである。いかにも、国家にとって国語も含めていかなる言語なども本来は道具の一つに過ぎず、したがって、その普及力とヘゲモニー維持において秀でている言語はとりわけ崇拝されるべき存在なのである。日本語を(そして英語も)まともに喋れない日本人と流ちょうな英語も日本語も話せる日系人とを比べてどちらが道具として使えるかと言えば、当然後者であって、海外において国家を代表する企業が欲しがるのはまさしくそういった道具である。
ところで、「ゆとり教育」ならぬ「さとり教育」という蓮池を出たかと思えば、今度はエスティックブルーのもののふ(Mononoff, Minister of Gaya Sciencia)が新たな具足(=英語必修化)をかなぐり捨ててもよいと言い出した。この政権は美学の祭でもやろうというのだ。あるいは、この先には全世界日本化計画でも推進する気なのだろうか。私が提案したいのは次の点だ。
ー先ず、国語の古典語教育はこの際止めること。その代わり、「日本語」科目を導入し、作文(表現力・思考力)・リスニング(集中力と忍耐力)・講読(分析力)の三つに下位区分して週10時間の授業を行うこと。こうすれば、どのアジア諸国にも負けない美しい国語を話せるようになる。
ー当然ながら、ここにはドロップアウトする学生も出るであろうから、その救助策として彼らには、「美しい日本語」を話す東京山の手地域の高級住宅地でホームステイ(事実上の家政婦)を義務づける。「美しい日本」の私たちのためなのだから、決して「箱根より先」に彼らを送り出してはいけない。これは場合によって、ニート対策にも一役買うだろう。
ー日本国民は五年に一度は「美しい日本語」能力試験を受験すること。不合格者には社会奉仕活動に従事させるか、月給20%分の罰金を科すこと。この収益は年金を賄う財源となり、国庫を潤すことが出来る。
以上
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿