共同通信社が伝えたプリゴフの死に関する誤報。
前衛パフォーマーで詩人でもあったプリゴフが先日亡くなった。
1940年生まれの彼は来日もしたことのある人物で、本国では教え子もいる。
ただ、その彼の評判を鵜呑みにするのは、あちらの事情に疎いか、贔屓目であるからだろうか。
パフォーマンス、ハプニングというものにとって、個人の死は最大のパフォーマンス、
つまり、それが本来創作し得ないものであるが故の絶頂であるとさえ私は思っている。
共同通信は何故か、その絶頂について述べてもいなければ、誤って彼が「10日前から入院していた」
(そしてそこで死亡した)と報じているが、この記事は裏を取っていない。
彼は一人で何もせずに病院で亡くなったのではない。
教え子たちのグループ「戦争」と共にその日は、ヴェルナツキー通りにあるモスクワ大学大学寮の22階までタンスの中に入ったまま
昇り、そこで猥雑詩を絶叫するパフォーマンスが行われるはずであった。
しかし、その22階に上がっている最中、タンスの中で持病の発作が起こったのである。
パフォーマーにとってはこの最期が報じられないのは、遺憾であったに違いない。
ちなみに、彼の葬儀費用に4000ドルを集めるチャリティをアントン・ノーシクがブログサイト「ライヴ・ジャーナル」で始めたのだが、これが一種のスキャンダルになっている。このチャリティ自体がではなく、これを不可解なキャンペーン(彼にはロンドンに地所があること、その彼に4000ドルなどは端金だろうということ、そもそもそんな人間に葬儀代を集めるのは寧ろ非礼であるということ)だと取り上げた作家ガルコフスキーが、あるウェブ出版所との契約を突如打ち切られ、それが大きな波紋を広げていることだ。
しかし、これこそがプリゴフ最後のパフォーマンスだったのだと考えれば理解しやすいのだが、生真面目な連中は亡くなった彼の死を悼むことにマジメ過ぎて、プリゴフが誰だったのかを見失っている。
詩人は人間か、作品か。
少なくとも、ただの人間であるとは言い切れない。
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