さて、今日はそろそろ始まった現行大学制度の本質的解体について論じたいと思う。
12月19日付の「九州大学による生活支援」に関する記事にちなんで。
日本における現行の大学の目をよく見ると、それがロンパリであるのが分かる。
右目は「家庭」に、左目は「社会」に向いている(九州大学の話は最後にしよう)。
今の大学がその上にかいている胡座は、そもそも生活費を自費(あるいは親の慈悲)によって賄え、なおかつ授業料の工面が可能な「家庭」の上に横たわっている。重要な点は最後に記した「家庭」という概念である。優秀な学生を集めるという名目で大学は今、生き残りをかけて様々な戦術を凝らしているが、そこに共通するのは一つの崇高な勘違いである。それは、大学教育に捻出される資金源のほとんどが、今挙げた「家庭」というものに依存している点だ。そもそも、義務教育の枠に入っていない以上、大学教育を提供する側の基本スタンスは「家庭」を度外視した、全方向的なものであってしかるべきであるが、必ずしもそういった戦略的な枠組みを持っているとは言えない。戦略のあるところにはあらゆる方向に目が向いていなければならない。だから、今の大学改革は全方向的だと私は言わないのだ。
ヨーロッパのボローニャ・プロセスを例に取ろう。
これが成功しているか失敗するのかはまだ現段階では何とも言えない(また、学士3年、修士5年、博士8年という3-5-8年制という時間枠についてはここではとりあえず問題にしない)が、これは簡単な話が、欧州連合の通貨ユーロの大学教育ヴァージョンだと言ってよい。ヨーロッパ内の大学教育の現場において、従来の単位に相当するモジュールの互換性を高め(その教育レベルの高低はどのみち無視してしまう形で)、この資格証明書さえあればヨーロッパを自由に行き来出来るという通行証である。本来、大学修了証明書をdiplomaと呼ぶが、この呼び名が本来はギリシャ語の交通許可証から来ていることを考えれば、この発想自体は至って自然である。
ボローニャ・プロセスは失敗する運命にあるという人もいれば、その逆を吹聴する連中もいる。どちみち、その背景の部分に動いているものが何であるのかを考える限り、成功失敗などはどうでもいい話である。つまり、人間の流動性を高めることによるヨーロッパの死活こそがここでは問題なのである。欧州連合とは別の次元で行なわれていたことも、逆にこのヨーロッパ内部における必然的なダイナミズムを感じることになろう。ここには当然のこととして奨学金制度・学生支援制度も連動しており、上に挙げた日本の大学のように、高台を歩かせる馬に目隠しをするような政策ではない。大学に入ることが「箔がつく」といったような次元でもない。むしろ、大学はもはや知的自由を謳歌出来るような場所ではなく、ほぼ確実に経済的虚栄の市になろうとしているのであり、その成功のためにはいくらも金を惜しまないのである。
日本の話。今の大学の修了証書などは、そのほとんどが「徒花」である。バスの整理券にすらならない。
今後十年先まで所得配分が現在のままであり続けるならば、恐らく50%近くの大学(特に私立大学)は文字通り徒花と散るしかなく、国公立とてその例外ではない。わずか20年前と比べても、授業料は二倍近く膨れ上がっているのに、所得上昇率などは無論比較にならない。本来スルスルと流れて行くはずのお金のパイプは今や詰まっているどころか、疲労の末に破裂し、どこぞの別荘の庭の金のなる樹の傍で泡を立てて吹き上がっている。
無償化の議論。
これは、国連人権規約の中にある中・高等教育の段階的無償化を批准していない国、日本のお話である。この方針が現状をよく反映しているとは言え、その批准を促進するしないについては、また別問題であろう。上に述べたように、日本のやり方は高度成長期マネー(中高所得者)を当てにした社会的戦略性の低いものであったわけだから、方針をこの先見直すことはあるにしても、それは国際的な建前の話であって、実効性については別に無視してしまっても構わない、というのが恐らくリアルな政治家の知恵である。しかし、無償化もせず、奨学金制度も充実させないままにこの先突き進もうとするならば、墓穴を掘ることになろう。大学は経営不能となり、半ば倒産。家庭は支払い不能となり、進学見送り。日本社会がそもそもユダヤ人のようなコミュニティ精神を持っているわけでもないので、どれほど優秀な人材であっても、簡単には進学することは難しい。そこで、大学がこれを助ける能力がどれほどあるかがここで問題となるわけだが、ここが大学無償化問題の分かれ道である。さあ、最初の九州大学の記事に戻ろう。
経費削減等々で一億円が捻出出来たという。
1000人に10万円の支給、倍率は5倍ほどだ。
本来、大学は勉強しない連中に媚を売る必要はないのである。リアルな話をすれば、金を払おうが払うまいが、しっかり勉強してさえいれば大学生として認めるだけのことなのだ。研究者でもないし、教育者でもない。しかし、そのどちらにもなり得る人材だからこそ、大学にとっては重要なはずである。それなのに、何もせずに金を払ってくれるからという最低な動機のもと大学を運営するなどということは倫理的に考えてもチャンチャラ可笑しいのである。この5倍の倍率で賞金を獲得したものはさらに茨の道が待っている。そう、それでいいのである。大学生はトレーニングセンターにやってきたのであって、アロハシャツにバスローブの健康ランドではない。
而して、大学の将来的戦略の根幹は至って単純なのだ。そしてこれが大学の本質的解体の序章である。
「お金払うから、ウチに来て」
今や、大学は坊さんの居場所ではない。そういったものは私塾か禅堂かに任せればよい。勝手に人は集まるし、金もかからない。こう言いさえすれば、優秀な連中はいくらでも呼べる。少しでもサボったら伝家の宝刀「放校処分」を振りかざせばよいのだ。この先、さらにどうやってお金を捻出したらいいのですか?と聞いてくる輩がいれば、こう答えればいい。
「あんた世間の頭脳でしょうが。それくらい自分で考えなはれ」
人間はもともと蛆に起源を持つもので、その蛆というのがぞっとしない単純極まりない管であり、中身は空っぽ、あるといえば悪臭を抱え込んだ虚ろな闇ばかりなのだ、という自らの考えを彼は打ち消すことができなかった。--- プラトーノフ
2009/12/19
2009/12/11
聖毒書習慣
読書家にとっての至高とはなにか
明らかに、知の欲求を満たすことではない。知によって崇高・至高の瞬間は得られない(獲得された知はそれ以外の無限に広がる無知をわれわれの目の前に曝すから)。多分、最初の問いそのものが愚問であることに気付きながらもさらに考えをめぐらしてみる。
あるいは、むしろこの広大無辺の無知の領域こそが未だ見ない至高の影であるとでも考えてしまうのか。読書家とは何と愚かなことか。
しかし、読書を止められない者こそは、この至高の影を追い求めるのだろう。私もその一人なのだろうが、しかし、音楽に手を出せば手っ取り早く崇高なる瞬間を得られるかと言えばそうとも言えない。知も無知もない領域に行きたければ、初めから読書などする必要はないのだが、無知のままでいることの不安が読書家にはどうもあるのだろう、すぐには宗教に手を出すことはしない。タバコは吸っても、コカインにはすぐに手を出さないのと似ている。要は、読書家は無我などというものとは無縁なのだ。これは、自らの思考にシドロモドロであることに何とも不可解な(不)快感を見出しているからかもしれない。不快であることが無我でいないことを助けてくれる、あるいは少なくとも、自分を無くすことが最大の不快であるならば、寸止めの不快感こそが快感であると自らを偽っているのだろうか。いずれにしても、最初の問いは愚問である。なぜこんなことから書き始めてしまったのか...
...こんなことを書き始めた理由はこうである。どれほど本を読んでも、私には感動という瞬間が生じず、その理由を知りたくなったからだ。そして、その理由が分かったところで結局は何も変わらないにもかかわらず、それでも理由さえ分かれば読書の仕方を変える方法があるのではないかと考えたからだ。
そもそも、私にとっての「読む」とは、「書くための読む」である。しかし、書いていない。というか、書けない。
ライターズ・ブロックというのがあるが、別に物書きでもない自分をライターと呼んでいるわけではなくて、ここでこの言葉を出したのは書こうとしている人間が書けない状態を指すために過ぎない。
唐突な話だが、真言でも聖なるヘブライ語でもいいが、聖なる言葉への信仰は次のようなことを教えてくれる。つまり、この世は言葉で出来ているということ、ひいてはわれわれ人間も言葉であるという考えだ。とりわけヘブライの思想を例にとれば、その聖なる言葉を分有しているのがわれわれの身体であるという。分有しているといってもそれは車のガソリンのようなもので、使い切ったらハイそれまでよ、という代物。つまり、人間絵巻一巻の終わりというやつである。これは物書きの世界に置き換えると非常に分かりやすいし、ある程度納得出来る。あるいは、物書きでなくとも、才能全般という言葉に置き換えてみてもよい。しかし、このヘブライの神霊言語思想における「分有」というのが「予算割当」のようなものである以上は、「補充」だとか「補正予算」なんて考えは恐らく出て来ない。
「今年度分の科研費は全部使い切って下さい、来年への繰り越しはありませんから」まあ、こんな調子だ。
今生も恐らくそうなっている。知識の集積は後生を益するとしても、来生への繰り越しは許されないのだ。そして、マッドな奴らはもっと違う手を考える。人間の死後再生技術が完成することを前提とした脳の保存を怪しげな会社に委託するか、脳をデータ化する。そして、来生への繰り越しを試みる。ここでは熱力学の第一法則と第二法則がかち合わないことが前提なのだが...。
そう考えてみると、読書は至高性を忌避する行為であることになるのだろうか。必ずしもそうではない。むしろ、書くことの方が第二法則への虚しき抵抗なのであって、読書はその抵抗を見守る行為であると同時に、一つの閉鎖系として生じる書物を再び開放しようとする裏切りにも見える。そうなれば、至高性を目指していることになるのだろうか。多分、その答えはは「イエス」でもあり「ノー」でもあるだろう。
明日の今日逝く
今日行く、行かない、今日行く、行かない...
大学の教育と小中高学校の教育はde facto異なるのは誰も認めるところである。
大学生にわざわざ世間での身だしなみ、これはイカンあれはイカンなどというのはナンセンスだと思う御同輩たちも多いことだろう。
なにしろ、大学を出ることが社会の身だしなみなのだからのであれば大学では何をしていてもとりあえずお咎めなしという不文律、それさえクリアすれば社会は社会人一年生として受け入れてくれるというのだから。社会がまたキョウイクしてくれるというわけである。何というアスのないキョウイク社会...
ところで、マスプロダクションというのは恐ろしい。アイドル発掘と同じく、どこにでもいるような田舎っぺ娘が厚化粧にハイヒールを身にまとえばもう一端のアイドルだというのと同じく、大学証書を手にすれば一端の社会人、その上、社歌なんぞ歌った日にや、もう誰も文句など言えない。どこからどう見てもシャカイ人である。
私は世俗にどっぷりの人間であるが、かといって、シャカイ人のことは自分にとってはガイ人程度にしか思っていない。
親によく言われたのが、このシャカイ人という言葉だ。だいたい、この言葉の後に来るのは「らしく」という正体の分からぬ言葉だ。この日本語の品詞も未だに分からない。「みたいな」なのか「ごとく」なのか、それとも「として」なのか。多分、最後の言葉が一番ピッタリ来るのだが、どのみち曖昧なことには変わりない。このシャカイ人という言葉が、一番今でも癇に障る。
親のキョウイクというのは怖い。ハンかチョウかの博打に近い。
人の家のことは言わないが、ほぼ誰もが実体験としてもつことだ。
もし本心から自分の親は素晴らしいと言える奴がいたら、そんな奴100パーセント信用してはならない。
大学の話に戻そう。
68、9年以降の世代は闘争の遺産として大学内部に少なくともリベラルな雰囲気を残したということは認めても良い。
その行き着いた場所が「授業評価アンケート」である。
これそのものには異論はない。ただ、正直、何を求めて行われているのかが正直分からない。
大学を学生コンシューマー市場に曝すのであれば、そう銘打ってアンケートを行ってもらいたい。
こちらもそれなりの覚悟で望めようもの。しかし、大学の自治の元、自らの理念に基づいて行われているわけでもない。
結局のところ、文科省の求めに応じた官僚的統計調査の一部に過ぎない。
私の中では二つの意見が真っ二つに分かれている。大学の自治。大学の解放。
どちらも本来は60年代的なスローガンである。自治とは、極めて西欧哲学的な立場であるところの大学像である。
この哲学的大学像のために哲学科が閉鎖されるという時代が例えばロシアでは一時期繰り返された。
では解放とは。大学の前進である流浪学生と流浪教授の開かれた共同体。これも分かる。理想だ。
本来、現代的な意味でのサーヴィスというものを行う者は、医者であろうが学者であろうが、定まった場所を有してはいなかった。
それは一種の興行に近い存在で、必要とされる場所に赴いていくのを常としていた。
つまり、必要とされなければ学びの場所そのものが存在しないのであり、誰一人それによって苦しむことはなかった。
教える相手がいなければ、いくら知識を有していようともただの人であって、誰もそれを恨んだりはしない。
知識は本来、そういうものに過ぎないなのであり、そうあるべきなのだ。学びたくなければ学ばなくても良い。
これこそが解放された学問の状態であり、それ以上でも以下でもない。正直、そこには崇高さなどこれっぽっちもない。
至極単純な話なのである。
学生コンシューマーが跋扈するこの時代、何もわざわざ大学に来てもらわなくても良いのでは、否、来ないでもらいたいという連中は、申し訳ないが、非常に多い。開き直れば、大学は何もそんなに大層な場所ではない。大学の自治にしても、それは大学にいることに何らかの利権・利害が存在する人間が口にすることで、何も崇高な理念の上に立った物言いなんかではない。ここに哲学はないといってよい。西欧の大学に置ける哲学の位置づけについては充分理解しているし、その事実を否定するわけではない。しかし、哲学も一つの利害を元に成り立ちうる時代であるからこそ、私は言いたいのだ、目的もない者が大学など来る必要など毫もないのだと。
レイプ事件が起こり、その被害者をなじるような時代である。これを大学(生)の危機と言わずして何と言おう。
人格教育など全くこの世の教育制度からは消滅している。夜回り先生というか、夜回りソクラテスのみが、若者的生の危殆を案じるしかない世の中ー世界は夜なのだ。
2009/12/07
「本の食べ方」
昔、何かのテレビ番組の記憶だ。
「読むまで死ねるか」で有名な”ハードボイルド”ボードビリアン内藤陣(まだ健在なのだろうか...)が自ら経営するバーのカウンターに凭れながら僕をこんな風に挑発したことがあった。
「学生なら、飯一食分くらい抜いて本を買え!」
無論その時、彼の話だし、「本」と言えばハードボイルドのことなのだろうとは思ったのだが、その時以来、僕の頭の中に「本=飯一食分」という等式が出来てしまっているのは彼の責任というか何というか、否、やはり彼の責任である。
あれ以来、僕は一食分と言わず、数日先の食事代のことも考えながら、どれだけ粗食で我慢出来るだろうか、と考えながら本を買うようになってしまった。おかげで、家には食べ残しの本、そればかりか、箸もつけていない本が五万と転がっている。ちょっとした古本屋食堂である。
本は腐らないとは言え、それでも限度というものがある。一番癖が悪いのは、レシピとなる本を読み始めると、その関連素材を味見しないと気がおさまらなくなって、仕舞いには、関連素材の本まで集め始めるのである。思考肥満とはこのことで、それが原因でどんどん身動きがとれなくなり、自分で料理が出来なくなってしまっているのだ。
だからこの先、粗食用レシピを熟考する必要がある。空想のレシピに終わらぬ我が家の実践(実戦)家庭料理。
その名も、
「思考肥満解消レシピ」
当たり前の話だが、全てを知り尽くした者にとって物を書くなどということにほとんど意味はなく、その逆に、全てを知り尽くしたいと儚くも願う者こそが物を書く運命にある。ここは重要な点で、「分かったぞ!」という傲慢な瞬間が誰にでもあって、それが思考の足を引っ張る。分かったと思った瞬間、その先からすでに分からないことが次々と溢れ出しているにもかかわらず、驕慢な思い込みによってそこのところに蓋をしてしまうのである。これが思考肥満の原因である。しかし、この「分かったぞ!」がやがて消化(昇華)されなければならない、あるいは、ただそのためだけにある思考の食材なのであってみれば、それを放置しておくことは中毒症状を引き起こすしかない...。
ここまで書いてきて、「編集」という言葉が浮かぶ。尤も、粗食料理には直接関係しない風に見えるが、編集と言う言葉が生み出しかねない誤解は拭い取っておくべきだろう。
編集は、別に旨いとこどりのことではない。分散している旧来のデータを用いて新たなフォーマットに仕立て上げるのが恐らく編集の妙なのである。そこからまた新たなセリーが次々と生まれ、これまで結びつくことのなかったものが合わさって次の神経回路を作る。これなどは創作料理的なところがある。無論、そこには洗練といったことも生じてくるだろうし、新たなフォーマットにとって無駄なものは削がれる。ゴテゴテしていたり、ブヨブヨしているものはどれも洗練度が低いということになって、編集対象になるであろう。ここまでは編集術に関する僕なりの勝手な想像でしかないので、もう少し吟味が必要だ。
そもそも、この編集という方法が僕にはどうも苦手(不得手)で、これはセイゴウ氏に倣うしかないのだろうが、編集ではどうも本を食べた感じにはならないような気がしてならないからだ。しかし、粗食の妙技はやはり編集術にあるのだろうか。ただ、僕には『編集』よりも『変種』の方がお気に入りなので、暫しこれは熟考すべき課題として置いておくことにしよう。
2009/08/04
So much for SAMURAI JAPAN's "le sentiment"!
ヤフーのニュースサイトを見ることが多い。
別に気に入っているわけでもなく、ただ癖になっているだけの話。その癖もよい癖とは看做していない。むしろ、直すべき悪癖であろうと思う。
一番気に入らないのがコメントである。コメントを読むとニュースの内容よりも、ニュースの背景となっている社会的気運が如実に現れていることに気づく。コメントを書く人間は、通常人と話すことの少ない人間である。人と話が出来るのであれば、わざわざ不特定の人間の前に出て私見を述べるまでもないことで、これは私の偏見であるが、欲求が十分には満たされていない。ブログも同じであるので、私も欲求をこのような形で満たしていることになる。かくして、吉原に行くように、あるいは、ホストに会いにいくように、気侭にブログを綴るのである。
コメントは文化の縮図であり、社会の周辺に位置する。中心にいる者はコメントを求められる立場であり、自ら発信する必要がなければコメントは滅多にしない。作家がそのよい例だ。べらべら喋るばかりのコメント上手な作家にろくな者は居ない。何も書かない人間と同じで、それこそ周辺的な市井の存在に過ぎない。それが嫌ならば、作家は書くしかないのだ。
ヤフーコメントに戻る。
このコメント欄の特徴は一言で言えば、一般常識を装ったコメントが多いことにある。覚醒剤逮捕者の妻にも道義的責任がある云々...などというコメントを見ていると、日本社会の抑圧的性格がはっきり分かる。以前にも書いたことがあるが、やはり大衆の時代は目立つものを埋没させることに熱を上げる下衆な時代なのである。火事場へ泥棒に入るようなもので、盗み出せるものは何でも盗み出す。栄光を背負っている者、人気のある者、金のある者、ありとあらゆる社会的ステータスを剥ぎ取ることで溜飲が下がるというわけだ。あっぱれである。そんな社会に未だに谺するのが、その先祖の大多数が農民であるはずの下衆根性丸出しの「侍ジャパン」である。侍ルサンチマンとでも言おう。これは大げさな言い分ではない。実際の日本人は未だに欧米へのコンプレックスに絡み取られて、ヨーロッパ語にしがみつき、NOVA通いに大枚叩いて、鼻を空かされるのである。侍は三島が流行らした嫌いがあるが、あれを引き摺っていけるのは今やスポーツの世界しかない。あれこそパセティックとしか言い様がない。莫大な報酬をもらう選手をよそに、大衆は未だに「侍」と嘯いているのである。こんな話、ほとんどノーコメントで済ましたところだが、そういうわけにもいかないのだ。
侍の所以を考えてみよう。
武の術は、闘いの場において自らの死を一歩でも遅らせるために相手を利用することを身につける術であると考えてみよう。だとすれば、闘う相手でもない人間を遠い岸辺に置き去りにして、しかもその人間が無縁の者であり、なおかつ、苦しみ喘いでいるのを横目に、誹謗中傷・罵詈雑言を並べ立て、相手が立てなくなるほどに痛罵するということと、すぐ上に述べた武術にいかなる共通点があると言えようか。評論家気取りのアホ丸出し下衆コメンテーターがヤフーのニュースコメントに書き込んでいるのは単なる低能なファッショに他ならず、またそれを許容し、利用されているヤフーも低能の誹りを受けても甘んずる外ない。
2009/07/14
All you need is Law...Law is all you need.
今日は最も私の中でホットなネタである。
まあ、ホットだからといって心が豊かになるのでもなけりゃ、明日への活力を得たわけでも無論ない。
70歳男性の万引き話である。
この微罪に対して求刑3年、そして判決は懲役2年。
常習性、つまり、手癖の悪さに対するこのような裁定で、彼が盗もうとしたのは98円の消しゴムであった。
こういった高齢者の万引き、しかも常習的であることの背景には様々な理由があろう。ただ、生活保護を受けていることに託つけて、微罪に対する情状酌量をあわよくば期待出来るのではないかという彼の法意識の低さにも、このようにかなり重い裁定を導いてしまった原因があったのではなかろうか、
しかし、である。
市井の立場は法の立場でなければならないとは限らない。法を無視しろというのではなく、法に縛られるなというのでもない。そうではなく、司法の手前で警察が介入する場を作りださないというのが市井の一つの立場であると私は思うのである。民事レベルの問題をすぐさま刑事レベルにまで引き上げるのは如何にも容易なことだ。起業主、販売主からすれば、商品を盗まれるのはやり切れないことではある。しかし、問題の解決には様々な形があってしかるべきであり、罪を憎んで人を憎まずというのは、別に法曹界の常識だけではなく、一般的常識であってもよいはずだ。
98円である。
1円でも盗んだら泥棒だ、というのは法原理においては間違ってはいないであろう。しかし、主義は悪を容易く生むものであることは歴史を知る者ならば常識として理解しておくべきであり、それが何か社会にとって必要なものを生み出しているかと言えば、必ずしもそうとは言えない。98円の消しゴムを盗まれたことに対する今回の制裁は、喩えて言えば、メンチを切られたから殴り掛かるチンピラと同じレベルにある。しかし、これは「出るとこ出ようじゃねぇか」といったレベルなのか。おそらく、違うだろう。
今では、現行犯逮捕については民間の人間であっても、警察力に成り代わって行なうことが事実上可能である。だから、誰でも、非常時においては警察官になれる。すぐに「善玉」になれるってわけだ。しかし、善の何たるかを考える必要があろう。善は、目の前に悪い奴が現れたからといって自然発生するようなものボウフラ的存在ではない。70歳だからといって、諭すことに及び腰であるような人間が善人を気取ってはならない。否、そもそも、法に善などないと言った方が本当は正しいのであろう。ただ、われわれは法を対して理解していないにもかかわらず、法を全てだとは思ってはいないだろうか。法を統べるものが何であるのかが結局のところ分からないところに法は勝手にオッ立っている。それが法の本当の姿である。善はボウフラ的存在ではないとは言ったが、実は法はそれに限りなく近い。原理というのはそもそもそういった頼りないものであるからこそ、体系を必要とし、その上で胡座をかくものなのだ。そこにまた人間が胡座をかくもんだから、話はさらに厄介になってしまう。法のためにボウフラになってはならない。否、こんな言い方はボウフラに失礼だ。勝手に善を担いではならない、何を担いでいるかも知らないうちは。
2009/06/18
盲眼鏡
職業としての翻訳を離れてから随分時間が経った。といっても、本当は何年ものあいだ遅々として進まぬ翻訳の仕事があるのだから、翻訳から離れたとは言い切れないし、言ってもいけない。
とりあえず、翻訳について先日こんなことがあったので紹介してみたい。
知人の日本文学研究者と談笑していた際、あるロシアの詩人の話になった。偶然にも、これについては以前僕自身も学士論文でイッチョカミしていたものだった。通常、この手の話になると水を得たように話し始めるのが人間の性なのだろうが、今の自分にはそれが出来なくなっていた。興味を失ったからというのではなく、当時何をどう考えていたのかがよく分からなくなっていたからだ。覚えていたことといえば、その作家にして詩人の作品の翻訳出版が当時待たれていて、最初に見つけたと思っていた僕は先を越されたという気持ちで一杯になっていたということくらいだった。だが、本音は、まともな翻訳なぞ出来っこないという単なる僻み、嫉みだった。
前世紀(おお!)の20〜30年代の作家・詩人というのは、先ず間違いなく言葉への信頼を失っている。まただからこそ、言葉を復活させよう(というか、退廃を押し止めよう)という信念に燃えていた時代であり、今から見れば作家の自惚れだとさえ映るほど言語の過剰な時代であった(これは今も続いている。世界の崩壊、というか、日常的秩序の崩壊が直接的に言語の崩壊ですらある時代にわれわれは今なお留まり続けており、戦争はなくとも言葉さえあれば人を殺し得る現場を、例えば「イジメ」というニュース用語によって、日常として受け入れている)。
話を戻すが、ここで問題の作家というのはダニイル・ハルムス(Даниил Хармс)という。ダニイル・ダンダンなどのペンネームもあった。失念したが、他にも複数の名前を持つ物書きであった。その彼が37年に粛清されたのち、彼の草稿が入った鞄をヤーコフ・ドルースキン(Яков Друскин)という音楽学者・哲学者がレニングラード包囲の焼け跡から救い出す。確か1989年だったと思う、ハルムスの作品集が初めて一冊の本として纏められ、一躍ソヴィエト末期のロシアにおいてブームとなる。まあ、ブームと言っても、今の春樹フィーヴァーと比較してはならない。再版を繰り返すことは余程のことがないかぎり先ずないロシアの文芸界でのブームに過ぎないから、初版が売り切れになっただけども、すでにブームなのだ。この本を僕は最初、14歳年上の友人から紹介され(貰ったわけではなかった。その代わり、誕生日にザボロツキーの詩集を貰った)、すっかり虜になったことから、絶版状態のその本を何とか探し出そうとレニングラード中を駆け回った。そして、ネフスキー大通りと交差するリテェイナヤ通りに見つけた古本屋で、ウィンドウショッピング用に飾られた初版本を探し当てたのである。
当時、レニングラードにいたのは遊学中だったからだが、この本のお陰でというか、この本のせいで、大学をサボるようになる。否、全く行かなくなってしまった。殆どの時間を上述の友人の家で過ごし、夜は彼と一緒になって川端の「掌の小説」の訳を色々捻り出して過ごした。ユダヤ人である彼の書斎にはニーチェの肖像画があって、書斎のベッドに寝かせてもらう僕は、プロフィールの肖像画だから目が合うことなどないのに、いつも目が合わないように肖像画に背を向けて寝ていた(セリョージャ、君もすっかりオジさんになっていたっけな、離婚するとは思わなかった。酔っぱらって僕が反吐を吐いてしまった君のオフィスに腰掛けていたレーナはそんなこと噫にもしなかったじゃないか。その代わり、君の最初の嫁さんとの子供がファッションモデルをしているという話は、今まで僕にしたことのなかった君の子供の話だった。君んちの台所にあった子供用のお皿について尋ねられなかったことをすぐに思い出したよ、20年近くも前のことだというのに)。あまりに長く居着いていたものだから、仕舞いには自分でスケッチしたナボコフの肖像画を枕辺に貼ったほどだった。なかなかの出来ではあったが、いつも通り、筆致にパンチがない。
ハルムスの話だった。というより、翻訳の話をしたかったのだが、いつも脱線ばかりしている。
翻訳に決定稿はあり得ない。
七十人訳聖書(正式には72人だったと思う)という古代ギリシャ語翻訳が同じ時間に終了し、その結果も全く同じであったという奇跡が語られるが、それは奇跡ということなので、われわれが話すレベルとは違う。しかし、比較の上では神の言葉ゆえの一致があるのだとすれば、凡般の翻訳者もこの奇跡を常に求めているはずなのである。間違いだらけの旧訳を新訳に変えるという時も、皆勇ましくあるのはこの奇跡に近づくべく努力するからだ。しかし、だ。それは適わない。
僕自身、コンピューターにデータを預け切るような懶惰によるのだろう、何度も同じテクストを繰り返し翻訳するというミスを犯している。その度にこれは決定稿だと思っているが、気がつくと、すでに翻訳したものをもう一度翻訳しているなんてことがあるのだ。翻訳の話以前の話だが、実際に何度もやっている。問題はしかし、その翻訳がどういうレベルなのかということだ。質に関しては言わない。ただ、その両者を惹き比べてみて、どう見ても見劣りするものがやはりあるということ、つまり、いつも同じような質を保てるわけではないということである。そこから引き出される経験値とは、単純に言えば、文章は体調が支配しているということ、文体も語調もリズムも、すべて身体に振り回されているということである。知のレベルよりも、身体のレベルが大きく訳の善し悪しを決定してしまうという現実を知ることが大事なのである。決定稿は翻訳にはなく、しかるに、決定版という名のつく翻訳は皆嘘をついている。何の権限もなくそう言っているに過ぎないのであり、そんなものは最初から疑ってかかるべきであり、またなおかつ、新しいからといって良いというわけでは少しもないということである。
翻訳の話をここまでしてきたが、これには読書のレベルも加えねばならないから、さらに話は錯綜する。読む状態、年齢によってもその受容は異なる。受容理論という文学理論が世にはあるが、それが解釈論の範疇に入るものであるゆえに、錯綜を激化させる。読みの質も問題になるとなれば、安定した読みなどどこにもないということだ。翻訳であろうが原典であろうが、読むという営みは最終的に理論化出来ないことを理論化したとしか言い様がない。
こう思うのである。
つまり、文字化している時点でもこの質の高低、ぶれ、善し悪しはあるのではないか、と。受容理論をいう前に、わたしはこの部分を問題にしたい。言語化している時点を。ニュークリティックの「意図を深読みするな」という禁止は読みの誤謬(fallacy)を減らそうとするものであったことは確かである。しかし、書き手が全て正しいものを書いていると誰がいえるのか。書き直したいと思っている作家は五万といようもの。公にしたらもうそれが正しいのですよ、といってしまうのはあまりにも酷であるし、言語の根源的状況をやはり見誤っているとしか思えない。言語は正しく語れないし、語るということは正しく語ることをいつも意味しない。語るは騙るという地口をオヤジギャグだと呼ばれても結構、しかし、言葉は言葉であるからといって、それ自信免罪符であるわけではないのである。言葉とは、いつも狙いを定めているかのような素振りを見せながら、実は照準器に望み込む目は光を失っているのである。現実に出てきたとき、つまり、現実化したときそれは目開きのように振る舞うが、まるでイースター島のモアイの様に、居眠りをしている男の目蓋に白墨を塗り込んだだけなのだ!
言葉よ、おお、わが盲眼鏡よ!
とりあえず、翻訳について先日こんなことがあったので紹介してみたい。
知人の日本文学研究者と談笑していた際、あるロシアの詩人の話になった。偶然にも、これについては以前僕自身も学士論文でイッチョカミしていたものだった。通常、この手の話になると水を得たように話し始めるのが人間の性なのだろうが、今の自分にはそれが出来なくなっていた。興味を失ったからというのではなく、当時何をどう考えていたのかがよく分からなくなっていたからだ。覚えていたことといえば、その作家にして詩人の作品の翻訳出版が当時待たれていて、最初に見つけたと思っていた僕は先を越されたという気持ちで一杯になっていたということくらいだった。だが、本音は、まともな翻訳なぞ出来っこないという単なる僻み、嫉みだった。
前世紀(おお!)の20〜30年代の作家・詩人というのは、先ず間違いなく言葉への信頼を失っている。まただからこそ、言葉を復活させよう(というか、退廃を押し止めよう)という信念に燃えていた時代であり、今から見れば作家の自惚れだとさえ映るほど言語の過剰な時代であった(これは今も続いている。世界の崩壊、というか、日常的秩序の崩壊が直接的に言語の崩壊ですらある時代にわれわれは今なお留まり続けており、戦争はなくとも言葉さえあれば人を殺し得る現場を、例えば「イジメ」というニュース用語によって、日常として受け入れている)。
話を戻すが、ここで問題の作家というのはダニイル・ハルムス(Даниил Хармс)という。ダニイル・ダンダンなどのペンネームもあった。失念したが、他にも複数の名前を持つ物書きであった。その彼が37年に粛清されたのち、彼の草稿が入った鞄をヤーコフ・ドルースキン(Яков Друскин)という音楽学者・哲学者がレニングラード包囲の焼け跡から救い出す。確か1989年だったと思う、ハルムスの作品集が初めて一冊の本として纏められ、一躍ソヴィエト末期のロシアにおいてブームとなる。まあ、ブームと言っても、今の春樹フィーヴァーと比較してはならない。再版を繰り返すことは余程のことがないかぎり先ずないロシアの文芸界でのブームに過ぎないから、初版が売り切れになっただけども、すでにブームなのだ。この本を僕は最初、14歳年上の友人から紹介され(貰ったわけではなかった。その代わり、誕生日にザボロツキーの詩集を貰った)、すっかり虜になったことから、絶版状態のその本を何とか探し出そうとレニングラード中を駆け回った。そして、ネフスキー大通りと交差するリテェイナヤ通りに見つけた古本屋で、ウィンドウショッピング用に飾られた初版本を探し当てたのである。
当時、レニングラードにいたのは遊学中だったからだが、この本のお陰でというか、この本のせいで、大学をサボるようになる。否、全く行かなくなってしまった。殆どの時間を上述の友人の家で過ごし、夜は彼と一緒になって川端の「掌の小説」の訳を色々捻り出して過ごした。ユダヤ人である彼の書斎にはニーチェの肖像画があって、書斎のベッドに寝かせてもらう僕は、プロフィールの肖像画だから目が合うことなどないのに、いつも目が合わないように肖像画に背を向けて寝ていた(セリョージャ、君もすっかりオジさんになっていたっけな、離婚するとは思わなかった。酔っぱらって僕が反吐を吐いてしまった君のオフィスに腰掛けていたレーナはそんなこと噫にもしなかったじゃないか。その代わり、君の最初の嫁さんとの子供がファッションモデルをしているという話は、今まで僕にしたことのなかった君の子供の話だった。君んちの台所にあった子供用のお皿について尋ねられなかったことをすぐに思い出したよ、20年近くも前のことだというのに)。あまりに長く居着いていたものだから、仕舞いには自分でスケッチしたナボコフの肖像画を枕辺に貼ったほどだった。なかなかの出来ではあったが、いつも通り、筆致にパンチがない。
ハルムスの話だった。というより、翻訳の話をしたかったのだが、いつも脱線ばかりしている。
翻訳に決定稿はあり得ない。
七十人訳聖書(正式には72人だったと思う)という古代ギリシャ語翻訳が同じ時間に終了し、その結果も全く同じであったという奇跡が語られるが、それは奇跡ということなので、われわれが話すレベルとは違う。しかし、比較の上では神の言葉ゆえの一致があるのだとすれば、凡般の翻訳者もこの奇跡を常に求めているはずなのである。間違いだらけの旧訳を新訳に変えるという時も、皆勇ましくあるのはこの奇跡に近づくべく努力するからだ。しかし、だ。それは適わない。
僕自身、コンピューターにデータを預け切るような懶惰によるのだろう、何度も同じテクストを繰り返し翻訳するというミスを犯している。その度にこれは決定稿だと思っているが、気がつくと、すでに翻訳したものをもう一度翻訳しているなんてことがあるのだ。翻訳の話以前の話だが、実際に何度もやっている。問題はしかし、その翻訳がどういうレベルなのかということだ。質に関しては言わない。ただ、その両者を惹き比べてみて、どう見ても見劣りするものがやはりあるということ、つまり、いつも同じような質を保てるわけではないということである。そこから引き出される経験値とは、単純に言えば、文章は体調が支配しているということ、文体も語調もリズムも、すべて身体に振り回されているということである。知のレベルよりも、身体のレベルが大きく訳の善し悪しを決定してしまうという現実を知ることが大事なのである。決定稿は翻訳にはなく、しかるに、決定版という名のつく翻訳は皆嘘をついている。何の権限もなくそう言っているに過ぎないのであり、そんなものは最初から疑ってかかるべきであり、またなおかつ、新しいからといって良いというわけでは少しもないということである。
翻訳の話をここまでしてきたが、これには読書のレベルも加えねばならないから、さらに話は錯綜する。読む状態、年齢によってもその受容は異なる。受容理論という文学理論が世にはあるが、それが解釈論の範疇に入るものであるゆえに、錯綜を激化させる。読みの質も問題になるとなれば、安定した読みなどどこにもないということだ。翻訳であろうが原典であろうが、読むという営みは最終的に理論化出来ないことを理論化したとしか言い様がない。
こう思うのである。
つまり、文字化している時点でもこの質の高低、ぶれ、善し悪しはあるのではないか、と。受容理論をいう前に、わたしはこの部分を問題にしたい。言語化している時点を。ニュークリティックの「意図を深読みするな」という禁止は読みの誤謬(fallacy)を減らそうとするものであったことは確かである。しかし、書き手が全て正しいものを書いていると誰がいえるのか。書き直したいと思っている作家は五万といようもの。公にしたらもうそれが正しいのですよ、といってしまうのはあまりにも酷であるし、言語の根源的状況をやはり見誤っているとしか思えない。言語は正しく語れないし、語るということは正しく語ることをいつも意味しない。語るは騙るという地口をオヤジギャグだと呼ばれても結構、しかし、言葉は言葉であるからといって、それ自信免罪符であるわけではないのである。言葉とは、いつも狙いを定めているかのような素振りを見せながら、実は照準器に望み込む目は光を失っているのである。現実に出てきたとき、つまり、現実化したときそれは目開きのように振る舞うが、まるでイースター島のモアイの様に、居眠りをしている男の目蓋に白墨を塗り込んだだけなのだ!
言葉よ、おお、わが盲眼鏡よ!
2009/06/16
JKBSK(自己分析)
われわれの時代を分析できるのか。また誰にそれが出来るのか。
ひとつ前のポストでコメントの話をした。
コメンタリーが”人間的”文化の動力を支える本質的問題であると述べた。
また同時に、その動力を生み出しているのが必ずしも生への意志だけではないことも述べた。
時代は常に自己分析をする。それがコメントであり、自己言及である。
例えば、メディアの命脈はこの自己言及にこそあり、その自覚があるからこそ命脈は保たれる。
さもなければ声は容易に怒号と成り果て、無責任な呟きへと縮んでしまうものである。
そんなことは誰もが知っている事であるが、それを知識として知っていても、体にまで浸透していないことはよくあるだ。
コメントは書くことである。しかし、それを書く時には書く当人は聞いている。最初に聞く人間である。
書くと言っても、これは声である他ない。さもなければ、誰にも聞こえないし、聞いてもらえない。だから、声に他ならない。
自らの挙げる声に耳を傾けない時代、あるいは、そうしようと思っても聞こえない時代というのがあるとするなら、
その時代は最も(既存の)文化に従順であり、図らずも耳だけの時代なのである。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、自らの声に耳を傾けないとなれば、そこに先ず最初に輪郭をはっきり表すのは自らの声を聞いていない人間の耳である。
それは、皮肉を込めて言えば、墨で書いたお経を体中に纏いながらも耳だけは無防備に残してしまった”芳一”の如く、聞く耳を持てなくなる耳だけの時代である。つまり、耳だけが残る。声を張り上げる事だけに賢明な人間たちの無数の耳だけが取り残されて行く時代である。
そこには何を聞く事も出来ない耳だけが残る。
文化に従順であるといったが、従順であるという事は自らの内側にしか耳が傾いていないという事、つまり、耳など要らないということだ。そのときにすでに自らの耳は耳ではなく、すでに人に呉れてやった体の一部に過ぎない。耳はオブジェ化するが故に、誰に呉れてやっても惜しくないのである。文化は耳よりも声を大切にするものであり、それが声の防護壁を作る。
耳の発生を考えてみよう。
耳が聞こえるのは声があるからであって、耳があるから声が聞こえるのではない。このプロセスが逆転してしまったのは、耳にふたをすると聞かなくてもすむという技を知ったからに過ぎず、最初から耳があったわけではないことを考えれば容易に分かる。もう一度いうが、声があるから耳にはそれを聞くという機能を担うことになったのである。
コメントというのは、この耳を機能させながら、自らの声を聞き続けるものでなければならない。そうしなければ、その耳は奪われる。つまり、機能不全ということだ。そのとき、惜しみなく自然は奪う。文化が自然に破れる瞬間である。文化と結託していたはずの耳は外的自然呑み込まれ、自然にも文化にも属することが出来なくなる。それが惜しみなく奪われるという意味だ。
最初の問いを少し変えてみよう。自己分析は可能なのか。
結論を言えば、一つの条件を満たせば可能であろう。
それは、耳を自らの文化に隷従させないことであり、自然に還らせないことだ。要するに、常に手入れしておくことである。
2009/06/11
Dysentary OR Commentary
今日は「コメント」について考える。予め申し上げれば、楽しい考察ではない。
コメントはコメンタリーと基本語義は同じなのだろうから、commentaryというのが元の語だ、きっと。
少し気になるので辞書を開いて確認してみた。
ラテン語のcommentarius「注、注解、解説」のような意味だ。
つまりは、テクストという言語化された思考に対して付加されていく言葉、てなほどの意味ってこと。
文化のある世界には日々コメントが数多く生み出されていく。今、ここで起こっているようなことだ。
文化こそは自らにコメントを加えていく装置である。
文学研究然り、精神分析然り、すべて他者の言語をめぐるコメントであって、まさにそうすることによってコメンテーターは自己に気付き、失望し、落胆する。それに終わりはなく、またしたがって、あまり気持ちいいものでもなければ、必ずしも精神的に健全なものではない。ただ、それを端で見ている人間にとっては豊かな財産となるものでもある。
コメントのあるところには文化がある。動物に文化があるという霊長類学者はいるだろうが、それとは大分違う。
善し悪しに関係なく、コメントは文化を目指し、そしてすでに耕された土地をまた再び改良しようとする。ただし、改良というのは言葉の上での話で、実際には改悪されることも十分あり得る。その理由は後述する。
インターネットは文明の発明であって、上に行った意味では何ら文化的産物ではない。
コメントを保存したりすることは出来ても、また、インターネットが文化の形を変化させることがあっても、文化を創ることはない。
語弊があろうとも、そうなのである。インターネット文化といってみても、それはインターネットが文化の代替であることを意味しないのと同時に、最後まで媒体であり続ける。なぜなら、インターネットは単純に、コメントなどを必要としていないからだ。そんなものがなくても存在することが出来るからだ。
文化は死を目指す、というか、死に根ざしたところがある。
いかに逆説的であろうとも、情報の保存という営みは、裏を返せば、それが死と隣り合わせであるから生じる挙動だということを証明している。文化主義者というのが一体何かということを考えると、生がこの死と隣接したものに過ぎないということを知っていても黙っていることにあるのだろう。改悪された文化とは、生に偏向したコメントしか生み出さない文化のことである。それは、自らの言葉がすでに他人の言葉であることを知らないコメントであり、言葉が鏡面であることを知らない人間がそれを生み出す。そこに豊かさは生まれず、貧しさばかりが増殖していく。個人の言葉はいずれ朽ちていく。場合によっては瞬間的に消えていく。その代償は様々であるが、いずれは消え失せるのである。そこまで辿り着くことを知っていながらそれに思い至らない言葉たちは、しっぺ返しを食らい、未来の肥料となることすらなく蒸発していく。
生と死の両価的な現象として文化。日々、衆生的コメンテーターの言葉に一切の感慨を覚えないのは、彼らの目には死が映っていないことが理由かもしれない。文化がなければ、死は悲しいことではなく、生も喜ばしいことではない。死をあるいは生を悲しくも喜ばしくもしているのは、装置としての文化が機能している限りのこと、つまり、死の悲哀や生の歓喜を再生産しているからなのだ。
コメントはコメンタリーと基本語義は同じなのだろうから、commentaryというのが元の語だ、きっと。
少し気になるので辞書を開いて確認してみた。
ラテン語のcommentarius「注、注解、解説」のような意味だ。
つまりは、テクストという言語化された思考に対して付加されていく言葉、てなほどの意味ってこと。
文化のある世界には日々コメントが数多く生み出されていく。今、ここで起こっているようなことだ。
文化こそは自らにコメントを加えていく装置である。
文学研究然り、精神分析然り、すべて他者の言語をめぐるコメントであって、まさにそうすることによってコメンテーターは自己に気付き、失望し、落胆する。それに終わりはなく、またしたがって、あまり気持ちいいものでもなければ、必ずしも精神的に健全なものではない。ただ、それを端で見ている人間にとっては豊かな財産となるものでもある。
コメントのあるところには文化がある。動物に文化があるという霊長類学者はいるだろうが、それとは大分違う。
善し悪しに関係なく、コメントは文化を目指し、そしてすでに耕された土地をまた再び改良しようとする。ただし、改良というのは言葉の上での話で、実際には改悪されることも十分あり得る。その理由は後述する。
インターネットは文明の発明であって、上に行った意味では何ら文化的産物ではない。
コメントを保存したりすることは出来ても、また、インターネットが文化の形を変化させることがあっても、文化を創ることはない。
語弊があろうとも、そうなのである。インターネット文化といってみても、それはインターネットが文化の代替であることを意味しないのと同時に、最後まで媒体であり続ける。なぜなら、インターネットは単純に、コメントなどを必要としていないからだ。そんなものがなくても存在することが出来るからだ。
文化は死を目指す、というか、死に根ざしたところがある。
いかに逆説的であろうとも、情報の保存という営みは、裏を返せば、それが死と隣り合わせであるから生じる挙動だということを証明している。文化主義者というのが一体何かということを考えると、生がこの死と隣接したものに過ぎないということを知っていても黙っていることにあるのだろう。改悪された文化とは、生に偏向したコメントしか生み出さない文化のことである。それは、自らの言葉がすでに他人の言葉であることを知らないコメントであり、言葉が鏡面であることを知らない人間がそれを生み出す。そこに豊かさは生まれず、貧しさばかりが増殖していく。個人の言葉はいずれ朽ちていく。場合によっては瞬間的に消えていく。その代償は様々であるが、いずれは消え失せるのである。そこまで辿り着くことを知っていながらそれに思い至らない言葉たちは、しっぺ返しを食らい、未来の肥料となることすらなく蒸発していく。
生と死の両価的な現象として文化。日々、衆生的コメンテーターの言葉に一切の感慨を覚えないのは、彼らの目には死が映っていないことが理由かもしれない。文化がなければ、死は悲しいことではなく、生も喜ばしいことではない。死をあるいは生を悲しくも喜ばしくもしているのは、装置としての文化が機能している限りのこと、つまり、死の悲哀や生の歓喜を再生産しているからなのだ。
2009/06/07
冷めた食餌
ガボン大統領死去のニュースを何の感慨もなく紙面で読む。この感慨のなさは殆ど病に近いのだが、今日の話は現代の病理についてではない。至って身近な話、「家事」である。
現代政治の流れは”民主的なもの”、あるいは、その保守に結びつけて考えられることが多い。それに反するものはどのような場合であっても”反動的”であるとして忌避される。保守は現在時への繋縛傾向が強いにしても、反動とは呼べず、伝統主義と名づけることもまた正確さに欠ける。安定を目指すとすれば、いずれの政治的態度においても「家事」がすべてを決定していく。収支、借金、赤字の家政学がわれわれの行動全体を支配するのである。この支配を逃れる術こそは、独り身の孤高なのだが、共同性を排除することからくる生の不確実性まではこの孤高も排除することは能わない。
上に述べた意味で、つまり、「家事」の術を操るという意味では、民主的であることも保守(あるいは反動)的であることも互いに矛盾するものではない。では、「世襲」というのはどういう位置づけが出来るのだろうか。「家」という制度は定義上、家の世襲的性格によって維持されるし、男系であろうが女系であろうがその性格を失ってしまえばすでにそれは家ではなく、ただの人間の集まりに過ぎない。あるいは運命共同体と言ってもいいが、その呼び名は重要でないし、その価値についてもここでは問題ではない。世襲によって何が守られているのかを考える必要があるのだ。
世襲禁止というのが現国政の焦点となりつつある。その議論の始点は恐らく、世襲そのものが本来的に持っているかのように見えてしまう「反動性」あるいは「保守性」を目の敵にしたところにあるのだが、政治をその「家事」的性格から見た場合、世襲的であることを果たして避けることが出来るのだろうか。政治は支配するものであり、またその支配から逃れることによって別の支配を作りだす運動である。「家事」の放棄は支配の放棄であり、支配の放棄とは自発的に隷属化することを意味する。
世襲について考えるには政党についても考え及ばねばなるまい。革新的とされる政党が挙って世襲を禁じる姿勢を見せているが、果たしてその挙動の一体どこが革新的であるのかには疑問を持つことが必要だ。政治家の世襲を禁じるとしても、そこには必ず支配持続の運動が必要とされるのであり、政党というのは政治運動化された「家」制度として機能している限りは、また世襲政治の欠落を補完しもする。世襲批判の一貫性の無さは、原理上支配維持の原則からは逃れようのない「家事」的性格を政党もまた持たざるを得ず、それは同時に「世襲」的であらざるを得ないということを黙っているところにある。
さらに、世襲政治家に対する批判以前に、一番の問題はどこにあるかと言えば、それは選挙時における有権者の選挙行動である。この最も手垢に汚れ易い政治行動がすべてを決定しているのであるとすれば、世襲批判以前に、政治運動の大衆化がいかなる功罪において判断されなければならないのかを見極めねばなるまい。罪の部分には迎合しかり、ファッショしかり、あらゆる大衆化の危険が潜む。家事については人間のみならず、昆虫もそれなりに営んでいるものである。大衆意識が末端肥大化しても昆虫の家事であれば、世襲であろうとなかろうと、頭脳組織は針の穴ほどもあれば十分過ぎるくらいなのだ。
国政は民が昆虫になればなるほど楽なものであり、世襲の問題などはこれっぽっちも重要でない。それは諸々の結果に過ぎない。こんな冷めた食餌では誰も喜びやしないのである。
現代政治の流れは”民主的なもの”、あるいは、その保守に結びつけて考えられることが多い。それに反するものはどのような場合であっても”反動的”であるとして忌避される。保守は現在時への繋縛傾向が強いにしても、反動とは呼べず、伝統主義と名づけることもまた正確さに欠ける。安定を目指すとすれば、いずれの政治的態度においても「家事」がすべてを決定していく。収支、借金、赤字の家政学がわれわれの行動全体を支配するのである。この支配を逃れる術こそは、独り身の孤高なのだが、共同性を排除することからくる生の不確実性まではこの孤高も排除することは能わない。
上に述べた意味で、つまり、「家事」の術を操るという意味では、民主的であることも保守(あるいは反動)的であることも互いに矛盾するものではない。では、「世襲」というのはどういう位置づけが出来るのだろうか。「家」という制度は定義上、家の世襲的性格によって維持されるし、男系であろうが女系であろうがその性格を失ってしまえばすでにそれは家ではなく、ただの人間の集まりに過ぎない。あるいは運命共同体と言ってもいいが、その呼び名は重要でないし、その価値についてもここでは問題ではない。世襲によって何が守られているのかを考える必要があるのだ。
世襲禁止というのが現国政の焦点となりつつある。その議論の始点は恐らく、世襲そのものが本来的に持っているかのように見えてしまう「反動性」あるいは「保守性」を目の敵にしたところにあるのだが、政治をその「家事」的性格から見た場合、世襲的であることを果たして避けることが出来るのだろうか。政治は支配するものであり、またその支配から逃れることによって別の支配を作りだす運動である。「家事」の放棄は支配の放棄であり、支配の放棄とは自発的に隷属化することを意味する。
世襲について考えるには政党についても考え及ばねばなるまい。革新的とされる政党が挙って世襲を禁じる姿勢を見せているが、果たしてその挙動の一体どこが革新的であるのかには疑問を持つことが必要だ。政治家の世襲を禁じるとしても、そこには必ず支配持続の運動が必要とされるのであり、政党というのは政治運動化された「家」制度として機能している限りは、また世襲政治の欠落を補完しもする。世襲批判の一貫性の無さは、原理上支配維持の原則からは逃れようのない「家事」的性格を政党もまた持たざるを得ず、それは同時に「世襲」的であらざるを得ないということを黙っているところにある。
さらに、世襲政治家に対する批判以前に、一番の問題はどこにあるかと言えば、それは選挙時における有権者の選挙行動である。この最も手垢に汚れ易い政治行動がすべてを決定しているのであるとすれば、世襲批判以前に、政治運動の大衆化がいかなる功罪において判断されなければならないのかを見極めねばなるまい。罪の部分には迎合しかり、ファッショしかり、あらゆる大衆化の危険が潜む。家事については人間のみならず、昆虫もそれなりに営んでいるものである。大衆意識が末端肥大化しても昆虫の家事であれば、世襲であろうとなかろうと、頭脳組織は針の穴ほどもあれば十分過ぎるくらいなのだ。
国政は民が昆虫になればなるほど楽なものであり、世襲の問題などはこれっぽっちも重要でない。それは諸々の結果に過ぎない。こんな冷めた食餌では誰も喜びやしないのである。
2009/06/02
Pereat vita...
二つのことに気づく。
人には気質というものがある。私は血の気が多いほうではなく、鈍重というわけでもないので粘着質でもないのだろうが、鬱々といった気分が支配的であるわけでもない。やはり、気難しいといったほうが正しいのだろうか。そうなると、いわゆる”黄胆汁”の気質なのだろう。
少年時代は昔は血の気が多かったほうだと思う。転校生だった僕は、いつもポケットに尖った石を忍ばせ、いつ来るか分からぬ仮想敵からの保身に備えていた。というか、母親の話ではそうだったらしい。勉強もそこそこ、運動は学年でもピカイチ、と言えば、今ではどこか嘘っぽいのだけれど、運動は万能だった。ドッジボールをしても絶対にあてられることがなく、どんなボールも今思えば神業としか思えぬこなし方で捌いては、必ず最後の一人になるまで粘った。
そんなある意味幸福とも呼べる少年時代が音もなく過ぎると、一気に舞台の照明は暗転する。何が変わったわけでもないが、膨らみかけた少年心理は内向へと傾く。スポーツからもほどなく離れ、音楽が僕を支配する。流行りの音楽もそこそこに、二十年以上も前の舶来ポップスを一心に聞き、分かりもしない英語の曲ばかりを聴き始めた。もしかすると、この頃が最も自分にとって幸福感を実感出来ることの出来た時期だったのかもしれない。本当に一心だった。
今振り返ると、自分が何をやりたいかなどと考える暇などなかったと思う。そもそもそういった問いは文字通り暇な人種にしか、あるいは、意識が散漫である人間にしか生じることのないものなのかもしれない。こういうと叱られるかもしれないが、きっとそうなのだ。仕事もしかり、一心に何かに打ち込んでいる間は、問いは生じない。これが可能になるのは、問いを提示することを生業とする職業か、さもなくば、それに憧れているだけの凡庸なる俄哲学者においてしかない。
だれも、かっこのいいことには憧れる。マーケットに溢れる哲学書に耽り、日常を批判する哲学者を知って、その勢いでというか、その戦略に嵌ることの何と多いことか。僕には苦手である、そういった日常批判に自らの日常を批判せぬま飛びつく連中は。ハイデガーはそれなりに尊敬はするが、その後に連なる輩どもは、どうみてもネオナチに見えて仕方ない。話が脱線した。今日はどこか脳の奥と指先がおかしい。
二つのことに気づいたというのは、次のようなことだ。
先日トイレの水が止まらなくなった。そこで徐にタンクの蓋を持ち上げ、中の水量を確認する。異常はないかに見える。しかし、水はいっこうに止まる様子を見せない。そうしていると、見る見るうちに水の嵩が上がり、かろうじて配管口から水が流れ出していたので、外に溢れ出ることはなかったが、どうしても水量調節が分からない。そもそもトイレの仕組みを知らないからだ。よく見ると、トイレタンクの仕組みが至って単純であることが分かった。水嵩の上昇に合わせて、調整弁と連動したブイが持ち上がる。すると、最後まで持ち上がったときのブイの角度で丁度調整弁が閉まる仕掛けになっているのである。そうなるともう、水は出てこない。ブイは水面に浮かんだ状態で、流水口を調整弁で閉じるのだ。トイレの水が止まらなかったのは、問題のブイがネジ式で取り付けられている部分から緩みだし、知らぬうちに外れてしまっていたらしいのだ。それが分かると後は単純。ふたたびブイを所定のメス部分に捩じ込み、正常な状態に戻った。ここにきてはじめて気づいたことを述べる。私にはこの自分の分からないものを一から点検し、問題の原因を探り出し、果てはその未知であった仕組み全体を解明し、なおかつ問題を解決するという「修繕」の本体に異常に心惹かれていることに気づいたのである。
以前からマニュアルを読むことがない私だが、そういった人は多いと思う。それは面倒であるとか、そうするに及ばない、と色々理由はあり得よう。しかし、私の場合、マニュアルを読むと楽しみが半減するという意識が常にあった。未知のものであればよいのを、わざわざ解説してもらってどうするのか、という意識だ。ただ、こういう意識はときに裏目に出てしまうことがある。職業的ではないこういった態度は、例えば論文を書くなどという作業では禁物だろう。私自身による解決だと思ったことが、すでに世に出て久しいありきたりな解決案だということも生じかねないからだ。いわゆる、井戸の中の蛙状態。
もう一つ気づいたこと。
これは手短に書こう。
最近のことだ。私は教育者という立場で職場を毎日点々としている。意識はしていなかったが、それが私の外面的な姿であり、また要求されることでもあった。もともと、教える能力に劣等を感じる自分は、なるべくそういったことを考えないよう務めてきたこともあり、自らの職に対する気負いといったものも特に感じなかった。しかし、今日、自分が教育者として自覚し始めていることに気づいた。これまでならば、それはとてもあり得ないこと、常に学ぶ者という姿勢を失いかねない危険な自覚ではないか、と常々警戒していた。ところが、年月は人を少しずつ浸食するのである。あるいは、私自身がこのような警戒心を自ら浸食し始めているのかもしれない。
「修繕」と「教育」。この二つにはどんなつながりがあるのだろうか。前者は過去への執着を示しつつ、いつでも朽ちる可能性のあるものを現在に従わせる。後者は現在を素材とみなし、そこから可能の未来を彫琢する。過去と未来の狭間にあって、その犯すべからざること、犯罪的であることは、過去と未来を現在に還元し尽くし、それを静観する態度と言えばいいのだろうか。言葉はこれ以上尽くさないが、多分その辺のところを考えておけばいいのだろう。今を永遠として。
人には気質というものがある。私は血の気が多いほうではなく、鈍重というわけでもないので粘着質でもないのだろうが、鬱々といった気分が支配的であるわけでもない。やはり、気難しいといったほうが正しいのだろうか。そうなると、いわゆる”黄胆汁”の気質なのだろう。
少年時代は昔は血の気が多かったほうだと思う。転校生だった僕は、いつもポケットに尖った石を忍ばせ、いつ来るか分からぬ仮想敵からの保身に備えていた。というか、母親の話ではそうだったらしい。勉強もそこそこ、運動は学年でもピカイチ、と言えば、今ではどこか嘘っぽいのだけれど、運動は万能だった。ドッジボールをしても絶対にあてられることがなく、どんなボールも今思えば神業としか思えぬこなし方で捌いては、必ず最後の一人になるまで粘った。
そんなある意味幸福とも呼べる少年時代が音もなく過ぎると、一気に舞台の照明は暗転する。何が変わったわけでもないが、膨らみかけた少年心理は内向へと傾く。スポーツからもほどなく離れ、音楽が僕を支配する。流行りの音楽もそこそこに、二十年以上も前の舶来ポップスを一心に聞き、分かりもしない英語の曲ばかりを聴き始めた。もしかすると、この頃が最も自分にとって幸福感を実感出来ることの出来た時期だったのかもしれない。本当に一心だった。
今振り返ると、自分が何をやりたいかなどと考える暇などなかったと思う。そもそもそういった問いは文字通り暇な人種にしか、あるいは、意識が散漫である人間にしか生じることのないものなのかもしれない。こういうと叱られるかもしれないが、きっとそうなのだ。仕事もしかり、一心に何かに打ち込んでいる間は、問いは生じない。これが可能になるのは、問いを提示することを生業とする職業か、さもなくば、それに憧れているだけの凡庸なる俄哲学者においてしかない。
だれも、かっこのいいことには憧れる。マーケットに溢れる哲学書に耽り、日常を批判する哲学者を知って、その勢いでというか、その戦略に嵌ることの何と多いことか。僕には苦手である、そういった日常批判に自らの日常を批判せぬま飛びつく連中は。ハイデガーはそれなりに尊敬はするが、その後に連なる輩どもは、どうみてもネオナチに見えて仕方ない。話が脱線した。今日はどこか脳の奥と指先がおかしい。
二つのことに気づいたというのは、次のようなことだ。
先日トイレの水が止まらなくなった。そこで徐にタンクの蓋を持ち上げ、中の水量を確認する。異常はないかに見える。しかし、水はいっこうに止まる様子を見せない。そうしていると、見る見るうちに水の嵩が上がり、かろうじて配管口から水が流れ出していたので、外に溢れ出ることはなかったが、どうしても水量調節が分からない。そもそもトイレの仕組みを知らないからだ。よく見ると、トイレタンクの仕組みが至って単純であることが分かった。水嵩の上昇に合わせて、調整弁と連動したブイが持ち上がる。すると、最後まで持ち上がったときのブイの角度で丁度調整弁が閉まる仕掛けになっているのである。そうなるともう、水は出てこない。ブイは水面に浮かんだ状態で、流水口を調整弁で閉じるのだ。トイレの水が止まらなかったのは、問題のブイがネジ式で取り付けられている部分から緩みだし、知らぬうちに外れてしまっていたらしいのだ。それが分かると後は単純。ふたたびブイを所定のメス部分に捩じ込み、正常な状態に戻った。ここにきてはじめて気づいたことを述べる。私にはこの自分の分からないものを一から点検し、問題の原因を探り出し、果てはその未知であった仕組み全体を解明し、なおかつ問題を解決するという「修繕」の本体に異常に心惹かれていることに気づいたのである。
以前からマニュアルを読むことがない私だが、そういった人は多いと思う。それは面倒であるとか、そうするに及ばない、と色々理由はあり得よう。しかし、私の場合、マニュアルを読むと楽しみが半減するという意識が常にあった。未知のものであればよいのを、わざわざ解説してもらってどうするのか、という意識だ。ただ、こういう意識はときに裏目に出てしまうことがある。職業的ではないこういった態度は、例えば論文を書くなどという作業では禁物だろう。私自身による解決だと思ったことが、すでに世に出て久しいありきたりな解決案だということも生じかねないからだ。いわゆる、井戸の中の蛙状態。
もう一つ気づいたこと。
これは手短に書こう。
最近のことだ。私は教育者という立場で職場を毎日点々としている。意識はしていなかったが、それが私の外面的な姿であり、また要求されることでもあった。もともと、教える能力に劣等を感じる自分は、なるべくそういったことを考えないよう務めてきたこともあり、自らの職に対する気負いといったものも特に感じなかった。しかし、今日、自分が教育者として自覚し始めていることに気づいた。これまでならば、それはとてもあり得ないこと、常に学ぶ者という姿勢を失いかねない危険な自覚ではないか、と常々警戒していた。ところが、年月は人を少しずつ浸食するのである。あるいは、私自身がこのような警戒心を自ら浸食し始めているのかもしれない。
「修繕」と「教育」。この二つにはどんなつながりがあるのだろうか。前者は過去への執着を示しつつ、いつでも朽ちる可能性のあるものを現在に従わせる。後者は現在を素材とみなし、そこから可能の未来を彫琢する。過去と未来の狭間にあって、その犯すべからざること、犯罪的であることは、過去と未来を現在に還元し尽くし、それを静観する態度と言えばいいのだろうか。言葉はこれ以上尽くさないが、多分その辺のところを考えておけばいいのだろう。今を永遠として。
2009/05/28
2009/05/24
オルゴールの戦慄
先ず想像してみよう。
突然、自分の体から無数の突起が浮き上がり、見る見るうちにその体は円筒状になって、その回転とともに突起を小さな舌で一つずつ爪弾き始める...。
今、大学でゴーゴリの「狂人日記」を読んでいる。
今日の授業で読んだのは「脳の在処』に関する箇所だった。
「人は脳が頭の中にあるって思っているようだが、実は、脳ってのはカスピ海方面から風に乗ってやってくるんだ」
9等文官として役所勤めする主人公ポプリーシン。本当は貴族の出なのに、どうしてよりによって自分は書類の抜粋だの清書だの、上司の羽ペンを削るだのと、どうでも良い仕事ばかりしているのか、否、本当は中の下の役人なんかじゃなくて、スペインの王なんじゃないか、と考え始めるシーンである。
文学作品に表現された「狂気」などと一括りにしてしまうと、大した実感は得られない。そもそもどんな文学作品を読んでも、読み手はすぐネガティヴな想像力を起動させてしまうので、ついつい「狂気」みたいな言葉を軽はずみに使ってしまう。実はもっと、この「狂気」じみたことというのは日常に転がっているに違いない。それを今日、僕は実感した。
僕の住む家は、日本には珍しく、細い道を挟んで立て込んた軒並みがまるで中世都市の深い迷路のような場所にある。つまり、家自身が巨大な迷路の壁を作っている。その道を挟んだところに一軒の家があり、授業からバイクで家に帰ってくると、そこから女性が顔を覗かせていた。ご近所なのでご挨拶をする。それを特に嫌がる理由もないからだ。
井戸無しの井戸端の話が始まる。
ただ、その話の雲行きが怪しいことに少し気づく。何ヶ月も話をしていなかったので、彼女の風貌にどこか老けてしまったところがあるのにふと気づくが、最初のうちは、さもありなん、以前はこめかみ辺りの白髪に気づかなかっただけなんだろう、と思い直し、また話の軌道に乗る。いや、その振りをした。
”先生は頭がいい人が就く仕事、給料は高かろう、否、初任給程度、家賃はいくら、こんだけです、いやいや、まさか、いやホント、定職にあらず、おたくの家の家主はゴミ会社経営よ、前の住人はそこの雇われ人で、あんたの仕事は肉体労働とは比べものにならへん、うちの亭主も肉体労働もしてて...で、ところで、おたく家賃はいくら、こんだけです、ほお、で、おたくの家主はゴミ会社経営でね、前の住人雇われ人...。”
「え、待てよ...これはスパイラル・トークだ。」(僕の内言)
自動機械というのがあるが、これは一定のアルゴリズムに従ったプログラムによって稼働するものだ。つまり、からくり。人間との違いは、このからくりを意識出来る能力を持っていないことだけで、他の点では似通っている。ただ、人がこのからくりで動いていることに気づいていない時、それを端で見る人間は「戦慄する」。
喩えはオルゴールでも構わない、音の小箱、ミュージックボックス。
旋律が自動で奏でられる。聞く者は少しもその自動旋律に戦慄したりはしない。言葉遊びが過ぎるが、人間は普段、随意の旋律を奏でるからこそ戦慄しないでいられる。ところが、突然、今日起こったような不随意の旋律が聞こえてくると、戦慄してしまうのである。
もう一度想像してみよう。
突然、自分の体から無数の突起が浮き上がり、見る見るうちにその体は円筒状になって、その回転とともに突起を小さな舌で一つずつ爪弾き始める。
これはいわゆる「不気味なもの」のことだ。誰でも知っているつもりでいるものだ。しかし、日常にこれが溢れ返るようなことがあるとしたら、人は多分まともに生活することなどできない。
突然、自分の体から無数の突起が浮き上がり、見る見るうちにその体は円筒状になって、その回転とともに突起を小さな舌で一つずつ爪弾き始める...。
今、大学でゴーゴリの「狂人日記」を読んでいる。
今日の授業で読んだのは「脳の在処』に関する箇所だった。
「人は脳が頭の中にあるって思っているようだが、実は、脳ってのはカスピ海方面から風に乗ってやってくるんだ」
9等文官として役所勤めする主人公ポプリーシン。本当は貴族の出なのに、どうしてよりによって自分は書類の抜粋だの清書だの、上司の羽ペンを削るだのと、どうでも良い仕事ばかりしているのか、否、本当は中の下の役人なんかじゃなくて、スペインの王なんじゃないか、と考え始めるシーンである。
文学作品に表現された「狂気」などと一括りにしてしまうと、大した実感は得られない。そもそもどんな文学作品を読んでも、読み手はすぐネガティヴな想像力を起動させてしまうので、ついつい「狂気」みたいな言葉を軽はずみに使ってしまう。実はもっと、この「狂気」じみたことというのは日常に転がっているに違いない。それを今日、僕は実感した。
僕の住む家は、日本には珍しく、細い道を挟んで立て込んた軒並みがまるで中世都市の深い迷路のような場所にある。つまり、家自身が巨大な迷路の壁を作っている。その道を挟んだところに一軒の家があり、授業からバイクで家に帰ってくると、そこから女性が顔を覗かせていた。ご近所なのでご挨拶をする。それを特に嫌がる理由もないからだ。
井戸無しの井戸端の話が始まる。
ただ、その話の雲行きが怪しいことに少し気づく。何ヶ月も話をしていなかったので、彼女の風貌にどこか老けてしまったところがあるのにふと気づくが、最初のうちは、さもありなん、以前はこめかみ辺りの白髪に気づかなかっただけなんだろう、と思い直し、また話の軌道に乗る。いや、その振りをした。
”先生は頭がいい人が就く仕事、給料は高かろう、否、初任給程度、家賃はいくら、こんだけです、いやいや、まさか、いやホント、定職にあらず、おたくの家の家主はゴミ会社経営よ、前の住人はそこの雇われ人で、あんたの仕事は肉体労働とは比べものにならへん、うちの亭主も肉体労働もしてて...で、ところで、おたく家賃はいくら、こんだけです、ほお、で、おたくの家主はゴミ会社経営でね、前の住人雇われ人...。”
「え、待てよ...これはスパイラル・トークだ。」(僕の内言)
自動機械というのがあるが、これは一定のアルゴリズムに従ったプログラムによって稼働するものだ。つまり、からくり。人間との違いは、このからくりを意識出来る能力を持っていないことだけで、他の点では似通っている。ただ、人がこのからくりで動いていることに気づいていない時、それを端で見る人間は「戦慄する」。
喩えはオルゴールでも構わない、音の小箱、ミュージックボックス。
旋律が自動で奏でられる。聞く者は少しもその自動旋律に戦慄したりはしない。言葉遊びが過ぎるが、人間は普段、随意の旋律を奏でるからこそ戦慄しないでいられる。ところが、突然、今日起こったような不随意の旋律が聞こえてくると、戦慄してしまうのである。
もう一度想像してみよう。
突然、自分の体から無数の突起が浮き上がり、見る見るうちにその体は円筒状になって、その回転とともに突起を小さな舌で一つずつ爪弾き始める。
これはいわゆる「不気味なもの」のことだ。誰でも知っているつもりでいるものだ。しかし、日常にこれが溢れ返るようなことがあるとしたら、人は多分まともに生活することなどできない。
2009/04/28
禁止してはならない
道路を歩いていると信号無視をする人が少なからずいる。 私も時にはその一人となる。 急いでいるからとか、待つのが面倒だからとか、色々と理由はある。 禁止というのは、その「色々ある」というところに一切理解を示さないところに始まる。 もし、その「色々あるわよね」という相槌を一々打っていたなら、禁止は成り立たない。 禁止の目的として、制御する、保護する、規制する、として色んな理屈づけはあるが、要は、「事情」を理解しないところにすべては始まる。 あるいは、インフルエンザに罹ったといってマスクをしてみる。皆に迷惑をかけないためだ、とか。 あるいは、道ばたで殴られたけど、俺はプロボクサーなので殴り返さなかった、とか。 この禁止、フロイト風にはこの無理解を、「自我」を乗り越えたもの、つまり「エス」という訳だが、どうもこの個から超個(公共性)への一足飛びを鵜呑みにするからこそ、共同体はそれ自身であり得るようだ。 でもやはり、「エス」だとか言われたって、急いでいる人間にはそんなことお構い無しである。どれほど危険であっても、だ。その時、この個は超個の網からはみ出していて、その後でまた網に戻ってくる。 これを他の個もおっ始めるとどうか。 歯止めの網は網でなくなり、緊密に縒られていた糸は解かれ、仕舞いにはバラバラとなる。 共同体の危機、社会の危機、堕落、モラルハザード...まあ、色々な言い方で呼ばれるのは、要はそういった状態のことを指している。 最初から大きな「エス」が実はあるのではなく、個それぞれに超個は備わっている。それがフロイト的なエスなのだが、そのコントロール能力は絶大で、むしろこれが無ければ社会など最初から成立していない。 ただ、人間的個を集団が育んでいくに従って、個は人間性を、集団は社会性を帯び始める、というか、それを求め始める。養ったその見返しにという理屈だ。そして、そんな見返しなどヤナこった、と突き返して超過する個は、その存在そのものが何かはみ出したもののように見えてくる。つまり、邪魔なわけだ。 そして、次がトリッキーなのだが、この歪んで見える個を人格として認めてやるのが父なる法であり、また同じことだが、部分と全体のそれぞれが持つ「エス」のあいだに楔として打ち込まれるのが法である。 逆に言えば、歪みを補正するという意味で、社会全体の歪みをむしろ表面化させているものこそが「法律」だと言える。 健康増進法(?)だったかどうか、名前をはっきり覚えていないが、これなどもそうだ。 どれだけ長寿の国であろうとも、その内実が透けて見えてくるではないか。 早く死なせてやればいいところを、不随意に生かし続ける病院、またその病院の病疾的体質... そんな国、少しも健全な国ではないし、法律で増進するわけが無い。 このような我らが父なる法は、死に際の何たるかを考えていないようだ。 とにかく、健康増進という名前自体、死の隠蔽すら感じさせる。 いや、もしかすれば、この法の隠蔽しているものは、自らの精神の死なのではなかろうか。
2009/04/24
今、机の両脇には本の束が山を作って、視界を邪魔している。実は、家内が実家に帰ってからほぼ一週間が過ぎてから、そろそろ良かろうと、”ハメ”を外したからだ。
ハメ外し、つまり、本の購入である。
本当ならば、ハメ外しというのはそれなりに愉悦を伴うものであるはずが、私の場合はどうしたことか、自ら抑圧に手を染めてしまうのだ。読むかどうかのあても分からぬ古本を、決まってこうどっさりと買ってしまうのはもはや一種の軽い病疾なのだろうが、それでも本は止めるわけにいかない。
「書きあぐねている人のための小説入門」という本を昨日から読み始め、同時進行で「感動の幾何学」という変な本を片手に置いている。別に、小説家になろうというわけでもない。むしろ、なぜ人は書くのかということがここ十年以上私の頭から離れない、自分でも奇天烈だと思う問いに苛まれているからこそこんな好事家の本を読むのだが、だからと言って、自分を好事家の類いに分けている訳でもない。
どちらも文学者の手になる本なのだが、かたや研究者としての文学者の本、かたや純粋に小説家の本。二冊を読んでいてやはり小説家の書くものの方が説得力があるのはどうしてか。素直ということか。
研究者にもよるが、型にはめていく書き方はどうも読んでいるわれわれを誘導しているのだという意識を与え過ぎてしまうのだろうか、読んでいてあまり心地よくない。退屈ですらある。研究も創作も、私にとってみれば、読ませるという意味では全く同じもので、こんな発見があったんだよ、という発見の経緯を説明されても仕方のないことで、むしろ、読書という行為そのものが発見であって欲しい。
「書きあぐねている...」を書いたのは保坂和志氏だが、彼の本は何冊かすでに読んでいる。ただ、読んだ本のいずれもが小説ではなく、小説家はこんなことを考えて小説を書いていますよ、的な本ばかりで、実際それが面白かったものだから、小説の方を注文してもあまり読んでいない。本人には悪いのだが、小説をこう書いているんだ、こうは書かないんだ、ということを読んでいる方が面白く感じてしまう最近の私には、小説一般の善し悪しはもうこの際どうでもよくなっているのである。
保坂氏曰く、「小説を書くこととは最初に解決不可能だと思うことを提示し、それを解くこと」だという。
保坂氏曰く、「小説を書くこととは最初に解決不可能だと思うことを提示し、それを解くこと」だという。
人間がモノを書くという営みに興味のある人間にとって、作家自身が上のようなことを言うのを聞くのは大変面白い。作家も人間であるのだという最初の問いの前提に引き戻される気がする。作家は問いを立てるだけではないという、あまりに当たり前のことを忘れていたのだろうか。
「作家」という奇妙な日本語。近代のいつ頃から流通しているのかは寡聞にして知らぬが、私などは例えば小説が常に一種の問いかけだと考えていたものだから、自問自答の形式が作家の存在様態であるということ聞くのは、変な話、意外ですらあった。つまり、小説は読まれなければ始まらない、という一種の先入観が私にはある一方で、誰に読まれなくともそれはそれとして存在するのだろうというアウトサイダー的発想が常にあったのである。書いたもの(書くという思考)を読んでもらう、また、書くことを思考の片鱗として現わす、ということをもう少し突っ込んで考えねばならないのだろう。
2009/02/23
不妊官僚
バチカン観光から数日が経った。
何も新たしきことは起こっていない。
最初から仕組まれていたことだと勘繰る輩も多い。
この手の騒ぎ、スキャンダルにもならぬものの裏を取って記事として配信する通信社・新聞社は恥を知れ、と言わねばならないが、まあ、この際どうだっていい。
しかし、だ。
以前にも書いたことがあるが、大臣とは、文字通り、臣の長の謂であって、いわゆるsubjectの親玉である。
このスブエクトゥムの中にはヒエラルキーが当然のように生じて(上下スライド式の階段)、皆は梯子を踏み外さないようじっと固唾を呑むのを常とするのである。
年功序列はその年齢を基準とした同型システムで、儒教思想がどうのこうのという以前の話として、家長に対する家臣間の摩擦を最小限にするための、至って簡易な階層システムなのである。これが合理的であるかどうかは、また別問題だとしても、そこに個人の意志を膨張させる思想は極力最小限に抑えられねばならず、したがって、儒教とはその集団的合理性の結果産み出されてくる副産物にすぎない(無論、孔子が放浪する呪術家であったという説[白川説]もあるので、これだけでは収まり切らない話だが。ただ、集団的生の記憶を連続させて時間サイクルをそれなりに巧妙に社会システム化しているがため、儒教的社会は一気に破綻することを免れているし、またそれを破壊させることも極めて困難である。
今回起こったのはまさに、邪魔な奴の梯子の桁を鋸でこっそり切り落とし、ナラクに落ちるのをそのまま傍観するというほどのことにすぎない。何も陰謀があったなどといったことではない。これなどは日常茶飯事的(システマティック)なことであり、しかも、現代日本官僚ならば当然黙認する手段だったのである。あるいは、われわれもこれ以外の方法がなければ消極的にせよ採用するライバル消去法である。イジメもこれと構造的にはまったく同じである。
こう考えてみると、非常に象徴的な事件であったとも言える。
つまり、国益という点から言えば、現代日本の官僚システムは、仮想的主権者が最後に登り詰めたところにあるはずの国益に到達する桁などそもそも存在しない無窮の家臣団梯子だということである。
単純な話、国の恥というのはこの際どうでもいいことである。(たとえば、集団的自衛という言葉の意味も本当はここから考えてしかるべきであり、これなどは、最終判断・決定を行えるものがどこにいるのかという問題を、「恥」だの「国辱」だのといった情緒的な言葉で粉飾しているのと同然なのである。)
高級クラブマン=官僚はこの手摺りなし階段に足がかかっているあいだは少なくとも、国益を優先するという建前(クラブ会員権)を手放すことはないが、少しでも足を引っ張る奴がいれば、それが大臣であろうと誰であろうと、お構いなしにパージを開始し、束の間スポットの当たった政治家人形を再び舞台袖へと追い返す。
ちなみに、蟻の社会と人間社会の社会的特性の違いとして、不妊カースト(繁殖行動を起こさない階級)の存在が挙げられるそうだ。これが現在では、蟻社会の社会性を新たな定義となったことにより、統率者、つまり、最終決定権を有する者の存在は蟻の社会性の定義からは余剰とされるようになったという。しかし、この蟻の社会性特徴は上に挙げた官僚梯子の比喩と恐ろしいまでに似ている。人間社会の一般的な社会性特徴とは区別されるはずのこの不妊カーストこそは、われらが家臣団ではなかろうか。あるいは、それよりもひどいかもしれない。無窮の梯子に身を寄せて、実際には何も決定することがないし、出来もしない。女王蟻のお産を分業して助けるといいながら、最終的な責任をとらないのだから。これが、不妊官僚である。
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